人生に意味はない『孤独の発明』ポール・オースター

人生に意味はない『孤独の発明』ポール・オースター

ポール・オースターの作品には、比較的若い(と言っても青年から壮年までさまざまだけれど)男性が主人公となる。

そしてその多くが、世界を真正面から眺めてはいない。

しかしそのことこそが、彼らの語る言葉、まとう空気を真実に近いものにする。
おそらくは、(それは十分確からしく)、我々の目にする世界は多くの場合見たままのものではないのだ。

『孤独の発明』は、自伝ではない。
作家自身が訳者に話したように。

「これは自伝ではない。僕自身をモデルにして、自己というもののなりたち方について探った作品、と考えてほしい」P299

そういうわけで我々は、ポール・オースターの作品によくあるように、作品の中にポール・オースター的な象徴、あるいは記号を見ながらその奥に横たわる概念なりを提示される。

本書は二部に分かれている。

第一部は「見えない人間の肖像」。

物理的には確かに存在している父の不在。
主人公が求める父性の欠落。

それは父親の問題か、あるいは主人公の問題か?

要するにそれは予測不可能な支配である。子供にしてみれば、いつ空が落ちてくるかわからないというに等しい。確信できるものは何ひとつないのだ。ゆえに子供は誰も信頼しないことを、自分自身でさえ信頼しないことを学んだ。P86

金とは父にとって、自分を不可触の存在にするための手段だった。金があるということの意味は、物を買えるという点にとどまるものではない。それは、自分が世界から影響されずに済むということでもあるのだ。いいかえれば、快楽ではなく、防御という意味における富。P90

第二部は「記憶の書」。
断片的な記憶を、無理につなぎ合わせるでもなくただ書き連ねる。

記憶。
それが一人の人間を構成する上で果たす役割。

記憶―物事が二度目に起きる空間。P134

記憶と現実は、その境界線がひどく曖昧なゆえ、我々を惑わす。
過去の記憶、歴史、他人の経験値は役に立つのだろうか。

我々は都市をさまよい、行き先を持たないのではないか。

人生に意味はない。
行為に意味はない。
あるのは世界と、そこに含まれる事物だけだ。

そして作家は、物語の中に救いを見出そうとする。
物語は彼の人生、あるいは世界に意味を付与しようとする。

彼は物語によって、シーソーゲームのように狂気と正気を行ったり来たりするのだ。

そのような執念は人を孤独のなかにとじ込めてしまう。自分の思考以外何ひとつ見えなくしてしまう。これに対し、物語というものは、それが論理的議論ではないからこそ、それらの壁をうち破る力を持つ。P250

夜に夢を見ることができなければ人は発狂してしまうという。同じように、子供が想像の世界に入ることを禁じられてしまったら、いつまで経っても現実世界を把握できないだろう。P264