しんどい人ほど飄々としている『彼女について』よしもとばなな

しんどい人ほど飄々としている『彼女について』よしもとばなな

同じ作家の本を二冊以上読む場合のパターンとして。

裏切られる場合と、
裏切られない場合がある。

どちらも悪い意味ではなくて、斬新さと安心感のバランスなのだと思う。

よしもとばななは、安心感の作家だ。
ああ、よしもとばななだ、と毎回思う。

それは彼女の作品を読むことそのものを一種の定型的癒やしの雛形にしているわたしにとって、とてもありがたいことなのだ。

ふつうの家庭。そうでない家庭。

昨今あちらこちらで氾濫している言葉遊びのおかげで、普通は存在しないことになっている。

しかし依然として「普通」はしっかりと存在する。
両者があまりにも隔たっているおかげで、普通の人たち同士が自分たちのあいだの小さな溝を「多様性」だとか「個性」だとか「家族のかたち」だとかについてあれこれと論議しているだけなのだ。

ほんとうに普通ではなくて、ひとりきりで、しんどいことに自分でさえ気づかなかった人は、飄々としている。

明るく絶望しているのだ。

私の体だけが私のほんとうの友達だ、そういうふうに思う。どんなときも、どこにでもついてきてくれる。P42

彼女について/よしもとばなな

それから男女差について。
たしかにわたしたちの両親の頃以前の男女差別は、型にはまることのできない人々にとっては辛かったはずだ。

けれど、近ごろの男女平等はとても気持ち悪い。
型はぐちゃぐちゃに破壊され、人々はもうどこにも自分をぴたりと当てはめることができなくなった。

ある意味では平等だ。
みんながみんな、行き先を失ったという意味においては。

そして「表現の自由」とやらがある。
個人の意見は、それっぽい理屈を付与された反対意見に圧倒され、本来の論点を見失う。

作家は、小説は、器が大きい。
複数の立場をその中に抱え込むことができる。

そしてよしもとばななは無理をしない。
「普通ではなかった」ことに気づいたのが、彼女の力になっているのだろう。

「私は、女性は実業にあまり向かないと思う。女性ならではの仕事なら別だけれど。」私は言った。
「なにか社会的な、慈善的な役目と関係あるなら別だし、期間が限られていたり、体ごと男になれるなら別だけれど、そうでない場合は、たいていどこかしら不幸になっている気がする。」P143

彼女について/よしもとばなな