的を射た不満ともう感じることのできないものごと the Catcher in the Rye J.D.Salinger

小説を原文で読もうと思った。
英語の勉強をしたいわけでも、おしゃれなカフェで誰かに見せびらかしたいからでもない。
「翻訳は黒子にはなれない」ということを身を以て実感したからだ。
フィンランドの友人が書いた本を日本語に訳させてもらったのだけれど(またきちんと報告します)、
もうそれはそれは、原文の美しさを残したままに、自分を消すための果てしない戦いだった。
そしてわたしが至った結論は、翻訳本はもはやオリジナルとは違うのだということ。
つまり、村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がいかに優れていても、それでわたしは「the Cathcer in the Rye」を読みましたと言うことはできないんだということ。
これはかなりの衝撃だった。
邦人作家を避け、海外文学を好んで手に取る自分にとって、読書そのもののあり様が変わってしまうかもしれない。
ホールデン・コールフィールド。
これがこの作品の主人公である。
彼は学校を退学になり、基本的に文句ばかり言っている。
きっと彼は、「どんな状況においても」文句を言う対象を見つけ出す天才なのかもしれない。
それが、16歳ということなのかもしれない。
かと言って彼がものすごい非行少年かというと、もう全然違う。むしろ彼は、心優しく、繊細で、納得のいかないものごとをそのままにしておくことができないだけなのだ。
原文を読んでみて初めて気がついた彼の口癖がある。
あまりにもくどすぎて、覚えてしまった。
“〜,though.”(〜だけどね)
“If you want to know the truth.”(ほんとうのところ)
“for God’s sake.”(頼むから)
“I wasn’t in the mood.”(気分が乗らなかったんだ)
自分の可能性について、こうすることもできるんだという可能性について述べたあとで、あくまで自分の自由意志においてそれを選択しなかったという負け犬の遠吠え的補足。
そして何よりも笑ってしまうのが、ホールデンが他人について不満を述べる内容について、読む側はいちいち大きくうなずいてしまうのだ。
“I said no, there wouldn’t be marvelous place to go to after I went to college and all. Open your ears. It’d be entirely different.”
P172
But you don’t have to be a bad guy to depress somebody – you can be a good guy and do it.
P219
I mean he’d keep telling you to unify and simplify all the time. Some things you just can’t do that to.
P240
この物語は、単に「どん底にいるときでも、大切な人がいれば立ち直れる」なんていう安っぽいメッセージをわたしたちに届けるわけではない。
原文にしかない、作者本人の魂をじかに感じてほしい。
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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