ミクロでもマクロでも結局のところ『塔と重力』上田岳弘

太陽・惑星』『私の恋人』『異郷の友人』でマクロ的視点をほとんどすべて書き終えてしまった作家が次に挑んだのは、ミクロの視点だったのだ。

そう解釈すると、日常を描くことに決めた作家の方針転換を前向きに受け入れられるかもしれない。

あるいは作家は、マクロ的視点に相対するものとして性描写を取り入れたかったから、こんなふうな物語になったのかもしれない。

いずれにせよ、今回の作品では上田岳弘的俯瞰―彼の言うところの「神ポジション」―がやや抑え気味に語られている。

空間と場所の絶対性の否定、宇宙の膨張。
作家は明らかに、一般相対性理論と量子力学を軸とする理論物理を意識している。

すべての学問は、突き詰めると最終的に同じところに行き着くというのはこういうことかと納得させられる。

作家は「最終結論」を語ろうとしているのだ。
どの作品でも、ブレることなく。

だから、彼の作品が六作も続いている(本書は四作目で、このあと二作続く)のは、実に驚くべきことなのだ。

すべての作品に人類としての最終結論があり、もはやこれ以上何を語ろうというのだと言いたくなる。

でも作家はわたしたちに伝え続けているのだ。
手を変え品を変え、同じ一つのことを。

優しい諦めとともに、それでも口をつぐむほど絶望することなく。

「多分問題なのは、わかってしまうことと、できることがすごく乖離していることね。地球の裏側の映像だって見られるし、そこに行った気にだってなれるけれど、本当にいつでも自由に行けるわけではない」P97

人類は知的好奇心が強いから、すべてを「わかろう」とする。
そしてその試みは恐ろしいほどに成功している。

その先にある「実行」、たとえばタイムトラベルなんかは、決して実現しそうにない。
おそらくその原因は、そして諸悪の根源は、人間が肉体を持っているということなのだ。
作家はそう言わんとしているのかもしれない。

誰もが平等でより良い人生を送れるようになることは、人類の宿願だった。そのためにこの惑星にある資源を活用するコストパフォーマンスを高め続けた結果、人間がありのままの形状であることにこだわる必要性はないという結論に至った。P162(重力のない世界)

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
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