太ったおばさんのために靴を磨く『Franny and Zooey』J.D.Salinger

レベルの低い演劇聴衆にうんざりしていて、
エゴのかたまりみたいな教授にうんざりしていて、
都会インテリっ子のボーイフレンドにうんざりしていて、
宗教に傾倒した末っ子女の子フラニー。

彼女の5つ上の兄ズーイ(きょうだいが多いからほとんど末っ子扱い)が風呂場で母親と末っ子娘の扱いについて話をする。
ズーイとフラニーが話をする。
ズーイはもっと年上の兄のふりをして、フラニーに電話をかける。
フラニーはそれがズーイであると途中で気づき怒るけれど、最後には彼女なりの答えに到達する。

これだけのお話だ。
これだけのお話の中に、何もかもが書かれている。
何もかも。
この上なく回りくどく、この上なく宗教じみて。

今回は原文で読んでみたのだけれど、あまりに言い回しが凝りまくっているせいで、村上春樹訳を横に置いていちいち参照して読み進めなくてはならなかった。

冒頭でフラニーの感じる「うんざり」や「やるせなさ」は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデンくんの感じるものとリンクする。

本作品では、彼女の兄がそれに対して答えを差し出そうとする。
たぶん不器用な愛情から。

フラニーが祈りを唱えることをはじめたのは、ある本がきっかけとなった。
その本では、信じる信じないにかかわらず、とにかく決まった祈り文句をずっと唱えていれば、いずれそれが信者自身の血肉と混じり合い、無意識下でも祈り続けられるようになるといった類の話だった。

All you have to have in the beginning is quantity. Then, later on, it becomes quality by itself. P32

「最初はとにかく量がすべてだ。質はあとからついてくる」

彼女が注目したのは、それがキリスト的法則ではなく、ほとんどどの宗教にも共通していることだった。

フラニーは救いを求めていた。
あらゆる違和感からの。
そして、もっともらしい説明も。

20歳のフラニーは、学校から家に帰り、母親の勧めるチキンスープも口にせず泣き続ける。
母親のベッシーは、聡明な子供たちに比べてごく一般的な印象を与える。
母親というものは、子供が具体的に何を悩んでいるかなんにもわかっていないのだ。
しかしその母親でさえ、父親のあまりの的外れを指摘して憤慨している。そう、母親は救いがたいほど無理解ではないのだ。父親に比べて。

He has absolutely no conception of anything being really wrong with Franny. But none! Right after the eleven-o’clock news last night, what do you think he asks me? If I think Franny might like a tangerine! The child’s laying there by the hour crying her eyes out if you say boo to her, and mumbling heaven knows what to herself, and your father wonders if maybe she’d like a tangerine. I could’ve killed him. P72

「お前の父さんは、フラニーが具合の悪いことになっているってことが頭をかすめもしないみたい。全然ね! 昨夜十一時のニュースのあと、あの人が私になって言ったと思う? フラニーはみかんを食べたいかな、ですって! あの子はもう何時間もそこに横になって、ちょっと何か聞いただけで泣き出してしまうし、おまけに何やらもごもごと口にしている。それなのにお前の父さんが気にするのは、フラニーがみかんを食べたいかってことなのよ。殺してやりたいくらいだったわ」

母親は、フラニーと歳が近く、また唯一家にいるズーイに相談を持ちかけている。
しかしズーイもこれまた一癖も二癖もある人間だから、そう話は簡単に運ばない。

フラニーの言葉を借りるなら、長兄二人の英才教育のおかげで、フラニーとズーイは「フリーク」になってしまったのだ。

You can’t live in the world with such strong likes and dislikes. P86

「そんなに好き嫌いが激しくちゃ、この世界でやっていけませんよ」

母親は言う。

それから親切で皮肉屋のズーイはフラニーのところに行って、問題の解決を図ろうとするのだけれど、持ち前の弾丸的理論の乱れ打ちですっかりフラニーを参らせてしまう。
兄は、そんなふうにフラニーを打ち負かすべきではなかったのだろう。
たとえ妹が一時的に「神」のようなふりをして、くだらない民をこきおろしていることに気づこうとも。

そこでズーイは別の手段を取る。
兄のバディーになりかわって、フラニーに電話をかけるのだ。
けれど、そこでもズーイ独特の言い回しのおかげで、彼女はそれがズーイだと見破ってしまう。

そのあとで電話口でズーイはやっと「正しい」言葉を発することができる。

But the thing is, you raved and you bitched when you came home about the stupidly of audiences. The goddam ‘unskilled laughter’ coming from the fifth row. And that’s right, that’s right—God knows it’s depressing. I’m not saying it isn’t. But that’s none of your business, really. That’s none of your business, Franny. An artist’s only concern is to shoot for some kind of perfection, and on his own terms, not anyones else’s. P168

「どれだけ世界がクソったれで、周りの人間がくだらなくても(それは間違いじゃない)、そんなの君の知ったことじゃない。
アーティストが目指すべきは、自分自身にとっての完璧さ、だたそれだけだ」

Anyway, it seemed goddam clear why Seymour wanted me to shine my shoes when I went on the air. It made sense. P169

「とにかく、シーモアがどうしてあの番組に出る前に僕に靴を磨かせたのか、はっきりとわかった気がした。それは筋の通ったことだった」

グラス家のきょうだいたちは、その聡明さでかつてラジオ番組に出ていた。
自殺した最年長の兄であるシーモアは、かつてズーイに「太ったおばさんのために靴を磨け」と言ったのだ。

太ったおばさんとは誰か?

フラニーはそのひと言で救われたように見えた。

翻訳版の読書感想文はこちら。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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