魔法が解ける瞬間とほんとうのこと『たんぽぽのお酒』レイ・ブラッドベリ

たんぽぽのお酒。

ダンデライオン・ワイン。

その響きはわたしたちに、あたたかな初夏の風を思わせる。
黄金色をしたそのライオンは、喉をとおるときにひとつ前の夏を思い出させてくれる。

自然がまだなんとか人々の傍にあったころの
暗く寒い時期にひとびとを惹きつけて止まない、夏の記憶。

たんぽぽのお酒。
この言葉を口にすると舌に夏の味がする。夏をつかまえてびんに詰めたのがこのお酒だ。それにダグラスが、自分が生きていることを知り、ほんとうに知って、世界を転がりまわってそれをすっかり、膚で目で感じ取ったいま、彼はこの新しい認識のいくらかを、この特別の収穫日のいくぶんかを、封じこめてとっておき、雪が降りしきり、何週間も何ヶ月も太陽をおがむこともなく、おそらくはあの奇跡のいくぶんかはすでに忘れさられて、再生を必要としている一月の日にあけられるようにしておくことこそ、ふさわしい、適切なことであった。P26

少年ダグラスはその夏、たくさんのことを知った。

自分が生きているということを知り、
おじいさんやお父さんが何でも知っているわけではないことを知り、
大おばちゃんやタイムマシンのような老人が死んだことを知り、
それならば自分もいつか死ぬのだということを知った。

これまで自分にかけられていた魔法が解けた気がした。

それは彼にとって輝かしい発見であり、大きなショックでもあった。

そこでダグラスを惹きつけたのはこのこと、毎年毎年、人間が土地から奪い、また土地が奪いかえす神秘だったが、彼は知っていた、町はけっしてほんとうに勝ちはしないこと、町は芝刈り機、殺虫剤噴霧器、生け垣用の大ばさみなどで完全装備して、危険にさらされながら表面は平穏に存在しているだけで、浮かんでいろと文明がいうかぎりは、まちがいなく浮かんでいるだろうけれども、それぞれの家は、その最後の人間が死に絶えて、彼の持っていた移植ごてや芝刈り機やらがこなごなになり、コーンフレークのようなさびに化してしまうときは、すぐにも緑の潮の流れに沈んで、永久に葬られてしまうということを。P32

彼のまわりにいるおとなたちは、決して彼のこの発見を台無しにしたりしない。

パパも、おじいさんも、大おばちゃんも、屑屋のジョウナスさんも。

わたしのなかでも、ただ便利のために大おばちゃんと呼ばれている部分はな、ここに残ってもう面倒をみるわけにいかないから、ほかの、パート叔父やレオやトムやダグラスや、そのほかあらゆる名前でよばれているわたしの部分が、それぞれ自分自身の仕事を引きつがないといけないよ。 P304

「人によってはとても若いころから悲しい気持ちに沈んでしまうものなんだよ」と、彼はいった。
「べつに特別の理由があるともおもえないのだけれど、ほとんどそんなふうに生まれついたみたいなんだ。ひとよりも傷つきやすく、疲れがはやく、すぐ泣いて、いつまでも憶えていて、わたしがいうように、世界じゅうのだれよりも若くから悲しみを知ってしまうのだ。わたしにはわかるのだけれど、そういうわたしがその人間の一人でね」P366

ダグラスはお礼をしたいと思う。
恩返しではなく、それをほかの誰かに送りたいと思う。

彼がそれをなし終えたとき、1928年の夏は終わる。

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
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