かくも理想的なディストピア『華氏451度』レイ・ブラッドベリ

ディストピア。
われわれはその響きにあこがれる。
起こりうるかも知れない、けれど決して起こるはずはないとどこかでわかっている恐ろしい未来予想図。
『一九八四年』、あるいは『すばらしい新世界』はわたしたちにとってそのような存在だ。
では『華氏451度』は?
本が焼かれるこの世界には、消防士に変わって昇火士がいる。
忌むべき書物を、間違いなく焼き払うために。
それは政府の押し付けなどではない。
恐怖政治などではない。
民主主義の選択の結果として、人々が自ら選んだことなのだ。
人が目指すものが幸福なのだとしたら、書物は邪魔になる。
科学力だけで、人は幸せになれるのだ。
民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み、面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる。どうだ? スポーツ組織をつくれ、どんどんつくれ、スーパースーパースポーツ組織を。本にはもっとマンガを入れろ、もっと写真をはさめ。心が吸収する量はどんどん減る。せっかち族が増えてくる。ハイウェイはどこもかしこも車でいっぱい、みんなあっちやこっちやどこかをめざし、結局どこへも行き着かない。P96
わかりやすさは安心になる。
ものごとに二面性があるなどという考えは、不幸せをもたらすのだ!
憲法とは違って、人間は自由平等に生まれついているわけじゃないが、結局みんな平等にさせられるんだ。誰もがほかの人をかたどって造られるから、誰もかれも幸福なんだ。人がすくんでしまうような山はない、人の値打ちをこうと決めつける山もない。だからこそさ! となりの家に本が一冊あれば、それは弾をこめた鉄砲があるのとおなじことなんだ。P99
そしてたぶん実のところ、人のほうがしっかりしてさえいれば確かに書物は必要ではないのだ。
そこに書かれていることは、目を凝らせばいたるところにあるのだから。
そうとも、きみがさがしておるのは本などではない! さがしものは、手にはいるところから手にいれればよいのだ。古いレコード、古い映画、古い友人。自然のなかに求めてもよい。みずからのなかに求めてもよい。書物は、われわれが忘れるのではないかと危惧する大量のものを蓄えておく容器のひとつのかたちにすぎん。P138
けれど、科学力が人をいとも簡単に幸福にし、それから何が起こるか?
わたしたちがこの物語を代表的なディストピアとして真っ先に挙げない理由は、ここに書かれていることが突拍子もないことではなく、案外起こりうる近未来だからなのかもしれない。
あなたの細胞は、遺伝子は、この物語を疑問なく受け入れてしまうだろうか。
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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