『ノルウェイの森/村上春樹』

彼の作品の中で、避け続けてきたものがある。

彼が彼のエッセイの中で本作品を「異質」と位置づけ、シュールレアリスム的な彼の作風から一線を画していると評していたからだ。

私は、彼のそのような超現実的な観念が好きだった。

それでも、そろそろそういうわけにもいかなくなってきた。

彼の筆した全てに目を通したくなってきたのだ。
それは、私の欲望のベクトルであり、「無欲」などとうそぶく己の限りない欲望の現れ。

近ごろ、欲望に肯定的になっている自分がいる。

欲望をなくすと、人は人の形を保つことができない。

人として生きると決めた以上、またそうすることしかできない以上、欲望を完全に取り去ることはできない。

吾唯足るを知る。

自らの座右の銘としているこの概念も、ある一定の欲が満たされた後、さらなる欲に身を任せるか、それとも自らを制することを選択するかのどちらかというだけのことである。

次なる欲を失った人は、死に最も近い存在となる。

善悪のことを言っているのではない。

話が逸れた。

そういう事情で、ついに『ノルウェイの森』を読むことになったのだが、これがまた限りなく果てしない喪失の物語だった。

むきだしに求めているわけではないのに、失ってゆく。

求めている自分に気づき、それでもどうすることもできない。

人は、無力で儚い。

「大切なモノ」はいつだって失うおそれがあるのに、それにうすうす感づきながらも愛することをやめられない。

摂理、
論理、
法則。

人間がそんなものを見つけていく度に、人間がもっともそれらから遠い存在だと確認してゆくことになる。

ふと、「この本は自分が思っていたよりも村上春樹らしかった」と思った。

なぜこの本を避けていたのだろう?

読んでいてやっとわかった。

私は、『ノルウェイの森』はもっとやかましい本だと思っていた。

もっと、がちゃがちゃと音がする本。
それは、映画のコマーシャルを何度も見ていたせいかもしれない。

そう、村上春樹の本は、いつも不思議な沈黙に包まれている。

沈黙の中の、「僕」の独白。

そういう世界観が壊されてしまうんじゃないか。

そう恐れていたのだ。

けれど、『ノルウェイの森』だって村上春樹だった。

哀しい物語。

「僕」は、沈黙の中で何かを諦めている。

誰かが音もなく泣いているかもしれない。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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