『その日の後刻に』グレイス・ペイリー/村上春樹訳

海外の作家による本を読むと、そのあとでたいてい原文で読んでみたくなる。
原文のほうが話の流れがスムーズなように思えることもある。

そんな中で、決して原文に手を出すまいと決めている作家のひとりであるグレイス・ペイリー。
生涯に三冊の短編集を出しただけの、寡作な作家。

本書以外の読書感想文:
『人生のちょっとした煩い』グレイス・ペイリー
『最後の瞬間のすごく大きな変化/グレイス・ペイリー(村上春樹訳)』

ニューヨークに生まれながらもロシアからのユダヤ系移民の家庭に育ち、フェミニストとして熱心に活動した。

彼女の書く文章は、単刀直入に言ってとてつもなく難解である。
翻訳家の柴田元幸氏の力を借りながら、この三冊を訳し通した村上春樹氏は尊敬に値する。
「著者はわざとわかりにくく書いているのではないか」と氏が評するほど、ネイティブにも難解な文章なのだ。

当然、訳された日本語を読んでも、明らかな筋のあるストーリーらしきものや著者の言いたいことらしきものの端くれを掴み取るのにかなりの苦労を要する。(ときには不可能になる)

それでも、彼女の文章はなぜかくせになってしまう。
部分的な納得感というよりもむしろ、文章ににじみ出る彼女自身の熱っぽさと憂いを込めたため息に惹き込まれるように。

「どこが面白いのか」
そう問われると、わたしはいつもよりも唇を内側にすぼめて黙り込んでしまうよりほかない。

彼女の文章は、決して万人受けするものではないし、だからわかりやすくその面白さを表現することなんてできない。
しかしグレイス・ペイリーの著書は、ベストセラーではなくとも優れた文学作品だ。
彼女自身、世の中のベストセラーなるものに違和感を覚えつつも、自分にできることを探っていたようだった。

その葛藤は、彼女の短編の中にも見られる。

私たちがここでじゅうぶんに持っていないものはーそしてそのことに日々心を痛めているのだがー第一級の優れた書物だ。ベストセラーの本ならいやっていうほどある。しかし優れた文学作品はどこにある?P44

それから、巻末に収められたインタビューの中でも、彼女はフェミニストの大義のために害をなしていると考えるベストセラー作家についてこう語る。

たとえば、マリリン・フレンチの『女たちの部屋』、私にはその本を読み通すことができないのです。本当に読めないんです。でも多くの女性たちがその本を好んでいることを、私は知っています。だから読んでみなくてはとは思っているのです。それはとても多くの女性の気持ちを代弁しているはずなのですから。女性たちはその本に夢中になっています。それこそが自分たちの現実を語ってくれていると言う女性たちもいます。でも私には読めません。ですから、それについてかなり複雑な気持ちを抱くことになります。彼女の本がそれほど売れる理由のひとつは、私がなんとかそれを読まなくてはと思って、同じ本を三冊も買ってしまったことではないかと思っています。本当に努力したのですよ。エリカ・ジョングについても、私は同じような努力をしました。でもその一方で、多くの人々にそれらの本は熱く受け止められているのです。そして私としてはその事実を尊重しなくてはなりません。P366

グレイス・ペイリーの作品に一貫して存在する雰囲気は、彼女がフェミニストであることと決して無関係ではないばかりか、その事実を読者であるわたしたちが知ることでむしろ濃くなってゆく。

グレイス・ペイリーを含めた「女性たち」と、具体的でありかつ抽象的である「男たち」が存在する。
女性たちの多くは離婚を経験したシングルマザーで、男たちはある意味で蚊帳の外にいるかのようだ。
少なくとも、「女性たち」と「子供たち」の間に男たちは立ち入ることができず、それを望んでもいないように見える。

男の一人が言った。私には既に子供が一人いる。この子が二十歳かそこらになるまで、私は自殺もできない。だからローズマリーが、ねえ、デイヴ、赤ん坊は? と言ったとき、こう言わないわけにはいかなかった。ローズマリー、君には子供を持つ資格がある。そうとも、君は若い女性だからね。でも答えはノーだ。私の息子(ルーシーの産んだ子)は今十二歳になっている。だからものごとがうまく運ばなくなったら、もし人生が何かしらの意味を示さなくなったら(なにしろイミだぜ)、たとえばもし私が酒をやめられなかったら、もし私がひどい酒飲みになって、酒をやめなくちゃならんのにそれができなかったとしたら、そのようにしてい自殺をする必要ができたとして、八年か九年くらいならなんとか待てると思う。しかしもう一人子供ができたとしたら、それがあと二十年にまで延びることになる。そこまでは待てないよ。そんな状況に自分を置きたくはないんだ。P288

ストーリーの中で、男たちは女性たちの恋愛対象でも、友人でもないように見える。
それでいて、女性たちは男たちを憎んでいるわけでもなければ、恐れているわけでもない。
女性たちはあくまで淡々と男たちに接し、たくましく子供を育てている。

だって私たちは彼らをこの世に送り出してきたんだもの、見捨てるわけにはいかないでしょう。私たちは指し示し続けなくちゃならないのよ、と私は言った。シンプルで意義を持ついくつかの風景を。たとえば田舎の風景。春の明るい緑の中で、あるいは冬の純白の中で、重なりあうように続く尾根とか、ときには真っ青な色に染まり、ときには複雑な雲の組み合わせを見せてくれる、常に私たちをあっと驚かせてくれる空とか(雲が空の息吹に従ってそのどこまでも柔らかな部分を前に進ませ、かたちや方向や密度をどんどん変えていくその様子ったら)。(中略)若い人々と顔を合わせるときに、善きものや美しきものを強調するのはとても大事なことなのよ。世界に向かってしっかり目を向け始めたばかりの若い人たちに向かって、そんなに陰鬱きわまりない顔を見せるわけにはいかないでしょう。P292

20世紀半ばのアメリカ。
まだまだ人種差別も性差別もある時代だ。
そこまでわかりやすくなくとも、彼女の書く「女性たち」は、あくまでも自分たちの女性としての役割を強く意識している。
今を生きるわたしたちから見れば、少し不自然に思われるくらいに強く、だからこそフェミニストに目覚めるくらいのエネルギーで。

著者自身、時代の移り変わりを肌で感じでいるようで、「最近の若い男はそうでもないようだけれど」というような発言がインタビューなどでところどころに見られる。
そのことを彼女は喜んでいるのだろうか。

男たちは普通の場合、女性たちが味わっているのと同じような種類の集中を乱す「中断」を味わうことはありません。今どきの若い男たちは、子育てに積極的に加わっているみたいですが、でもそれは事実だと思うんです。P363

巻末に収められたジョーン・リドフによるインタビューは、’Clearing Her Throat’と題されている。
単純に訳するともちろん「咳払い」となるわけだけれど、村上春樹氏はこれを「喉をクリアにすること」と訳している。

彼の翻訳作品には、このような翻訳が散見される。一周回って直訳になったような表現が。
これが、かえってそこに書かれた真意のようなものをうまく取り出しているように感じられるのだからおもしろい。

インタビューを読み終えたわたしは、軽いめまいとささやかな興奮を覚える。

「ああ、わたしはこの段階に至って、この難解な本をはじめからすっかり読み直さなくてはならない」

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円