『アンダーグラウンド』『約束された場所で』村上春樹

かなり長い読後感想になる。
ノンフィクションなので、ネタバレという言葉を使っていいものかわからないが、かなり内容には深く触れている。
自分の中で、きちんと文章にして残しておく必要があると感じたので、ここに記す。

オウム真理教が起こした、悪夢のような地下鉄サリン事件から20年――。
今、テレビでは、何かの記念日を祝うみたいに盛んに当時の特集を組んでいる。

「風化させてはいけない」
もちろん、そのような使命感もあるとは思う。

けれど、村上春樹氏の書いたこの二部作を読んだ後では、そのようなメディアの取り上げ方にはいささか疑問を呈せざるをえない。

当時、わたしは四歳だった。
言い訳するわけではないけれど、当時は事件の存在すら知らなかったし、わたしの成長に従って、メディアで取り上げられることも少なくなった。
当然、興味を持つこともなかった。

けれど、村上春樹という大好きな作家が、ノンフィクションインタビューというかたちでこれらを世に残してくれたことで、わたしはこの事件について一定の見解を得ることができ、今の社会の持つ危険性の萌芽に少なからず気づけたように思う。

重い内容であることを嫌い、なかなか手が伸びなかった二冊。
時間のできた今、やっと重い腰を上げて手に取ったのだった。
もちろん、この事件に対してわたしにできることがあるのかについてはまた別の話になる。

まず、『アンダーグラウンド (講談社文庫)』。
これは、地下鉄サリン事件に実際に居合わせ、多かれ少なかれサリンの直接的な被害を受けた人々に対するインタビューである。
実を言うと、わたしはこれをまだ3分の2ほどしか読み進めていない。
ひと月かけても、ページが進まない。
それほどまでに、さらさらと通り過ぎられない現実が描かれている。
もちろん、そこにはテレビで報道されている「事件前後」の客観的事実だけが描かれているわけではない。
その人の生い立ち、考え方、事件当時の状況などによって、同じ事件でも切り取られ方が全く違う。

村上春樹氏によると、彼がこの本を書いた理由は、事件後の報道があまりにオウム真理教側の視点で見た(その宗教のあり方であったり、考え方のような)ものに偏っており、被害者についてはあくまで「善良な一般市民」であるとしか報じられないと感じたからだったという。
それに、メディアの性質からして、その発言は往々にして都合のいい編集というフィルターを通して描かれる。
彼は、被害を受けた側についてもそれぞれに人格があり、ドラマがあり、その後の生活があるという当たり前の事実をきちんと被害者側の視点で見てみたかったのだという。

彼の言葉を借りるなら、彼らの経験が「現実的にどういうことなのか」ということを、それがその後の彼らの生活や意識にどのような変化を及ぼしたのか、それらを単に知識としてではなく、肌の痛みとして、胸を打つ悲しみとして我々が実感するべきだと考えたようだ。
「ファクト」としての客観的事実を暴いていくのではなく、あくまでその人達の立場に身を置いて見て考えてくることで見えてくるものを「真実」としているインタビュアーとしての姿勢が伺える。

そこには、確かに「善良な一般市民」とひとくくりになどとてもできないような人々のリアルな姿があった。

自分の証言が本という形になることに、多かれ少なかれためらいのようなものはあっただろう。
けれど、彼らは答えた。
そこには、名も無き被害者ではなく、主張する個がしっかりと垣間見えた。

続く『約束された場所で―underground 2 (文春文庫)』。
『アンダーグラウンド』執筆時、余計な先入観を避けるため、村上春樹はあえてオウム真理教側の情報をほとんど仕入れずに臨んだという。
そうしてそれが出版されて、次に彼がぶち当たった考えは、「オウム真理教とはいったい何だったのか?」という疑問だった。
日常に突然に襲い掛かってきたオウム真理教は、事件の実行犯を逮捕する(その悪なるものを徹底的に叩き潰す)だけで解決しうる問題ではないのではないか?
ポスト・オウム的な可能性は否めないかもしれない。
今回表に出た卑劣な犯罪と、教団そのものはあるいは別のものとして捉えることも可能であるかもしれない。
もちろん、教団が内部に抱え込んでいた危険な因子が今回の事件につながったことは否定しがたいだろう。

そのようにして彼は、実行犯としてではなく純粋に「オウム真理教」という新興宗教に入れ込み、そこに身を沈めて暮らしていた人々に同様のインタビューを試みた。
それがこの、『約束された場所で』である。

この本を読んで、わたしは正直言って驚かざるを得なかった。
オウム真理教の信者たちの話す内容には、多かれ少なかれ共感できる部分がたくさんあった。
それは、社会が内包する「不完全性」への憤慨であり、生きる意味への渇望があり、納得できない活動への拒絶がある。
そういうのをとにかく真剣に、とことんまで突き詰めて考えていく。
当然、明確な答えや、万能薬のような解決策は存在しない。絶望。

思うのだけれど、こんな風に考えることは別に特別なことじゃないのではないだろうか?
みんな、多かれ少なかれそんなことを考えるのではないか?

ただ、そのように真面目で素直な彼らはそこに答えを求めた。
そして、教団ならその答えを示し、解決に導いてくれるだろうと期待した。
これによって、彼らは盲目的に排他的になり、無欲を徹底し、教団の示す目的に突き進むことになる。
その中でも、やはり個人差がある。
インタビューを受けた信者・元信者たちは、それぞれ考えを明確に持ち、教団との距離感や関わり方もそれぞれ違っていた。
決して、報道のように「絶対的洗脳」が成功していたようには見えない。

その分、「オウム」対「善良なその他一般市民」という構図は意味を持たず、そのような市民からオウムのような組織に足を踏み入れる敷居はそれほど高くないのかもしれないと戦慄してしまった。

今の社会を「生きづらい」と感じる人々の受け皿がない、ということを村上春樹氏は危険視しているようだった。
だから、オウムのように極端なことをしていても、そこにしか生き場所がなくなる。

この二冊を通して、一番わたしの胸に突き刺さってきたのは、巻末の村上春樹氏と河合隼雄氏の二番目の対談である。
対談タイトルは、「『悪』を抱えて生きる」。

かいつまんで引用すると、

本物の組織というのは、悪を自分の中に抱えていないと駄目なんです、組織内に。
これは家庭でもそうですよ。家でも、その家の中にある程度の悪を抱えていないと駄目になります。
そうしないと組織安泰のために、外に大きな悪を作るようになってしまいますからね。
(中略)
やっぱり人間というのはほんとにしょうもない生物やからね。だから自分の悪というものを自分の責任においてどんだけ生きているかという自覚が必要なんです。(河合隼雄氏)

ここでは代表して河合氏の発言を引用したが、大体がこのような内容で対談が進められている。

組織の中の、ひいては自分の中にある「悪」は否定すべき、あるいは排除すべきものではない。
どうやって責任をもってそれと共存していくか。
そこに大事な論点がある。

正しい自分のあり方。
正しい家族のあり方。
正しい組織のあり方。

そういうものを突き詰めるほど、そして真面目に実行できてしまうほど、その「正しさ」は台風の目になっていく。

自分を、組織を維持するために周りに敵を作るしかなくなる。
それはつまり、自分の中に、そして自分の属する組織を正しいもので固め、それを信じこんでしまうことは、周囲を攻撃することにつながっていく危険性をはらんでいるということだ。

それは、「正しい方向」へ努力することを否定するものではない。

彼らの言葉はあまりに深く、真実を突いている気がする。
未熟で若いわたしには100%彼らの意図を受け止めきれた自信はないが、そういう未熟さや苦悩すらも、自分の責任で抱えて生きていく必要があるのだろうと解釈した。
そうすることで、あるいは何とか生きていくことができるのかもしれない。

あまりに考えすぎてしまうタイプの人間にとって、これらの二冊は自分のあり方に大きな影響を与えうるような気がする。
そこからは、単に事件のことだけではなく、そのようなものを生み出した社会全体に対する村上春樹氏からの警鐘も読み取ることができる。
我々はどこに向かうのだろう。
少なくとも、わたしにできることは、自分の悪を自分でちゃんと抱きながら生きていくことのようだ。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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