『夜の国のクーパー/伊坂幸太郎』

人が空想できるすべての出来事は、起こりうる現実である――。
とある少年漫画に出てくる、物理学者の有名な一節だ。

この作品は、そんな人間の空想の可能性を見せてくれる。
伊坂幸太郎といえば、巧みな伏線や、これでもかというほどの展開の裏切りの連続が痛快である。

彼自身、自分のスタイルに固執しないようにかなり柔軟に挑戦を続けている作家だと思うが、この『夜の国のクーパー』は個人的大ヒットだった。
『オーデュボンの祈り』以来のぞくぞくした興奮。
あくまでも現実とリンクした「異世界」のインパクト。
はじめは見えないものが、だんだんと輪郭を帯びてくる獲得感。

このどれもが、わたしの大好きな初期の伊坂作品を彷彿とさせてくれる。
しかも、かなりパワーアップした形で。

話の中身としては、しがない公務員で妻に浮気をされた「僕」が、喋る猫に出会う。
その猫が住む、とある王国の話を聞く。
動く杉である「クーパー」と戦う兵士たちや、隣国との戦争の話。

「僕」は否応なしに、あるいはあくまでも主体的に、その不思議な王国のいざこざに首を突っ込んでいくことになる。

伊坂幸太郎の作品には、物語の中に強いメッセージが込められている気がしてならない。
普段のわたしたちの生活にも密接に関わっている、憤慨や疑問。

それらに対して、物語を通して彼なりの叫びを見せてくれる。

「国王が、国をまとめるためのこつを知っているか」
「『外側に、危険で恐ろしい敵を用意することだ』と、そう言っていた」(P372より)

これは、村上春樹の『約束された場所で』で書かれている内容とかぶる。
オウム真理教も、このやり方で組織を束ねていたのだ。

「俺を信じるかどうかは、おまえたちの自由だ。どんなものでも、疑わず鵜呑みにすると痛い目に遭うぞ。たえず、疑う心を持てよ。そして、どっちの側にも立つな。一番大事なのはどの意見も同じくらい疑うことだ」(P385より)

この一節は、何気ないけれど、実はかなり奥深い。
誰かの言うことを鵜呑みにする、ということは、一見素直で良いように思えるかもしれないが、その結果に対する責任をも誰かのせいにしてしまうという危険性をはらんでいる。

それに対して、「何でも疑ってかかる」ということは、一見根性が曲がっているように思えるかもしれないけれど、それを信じて決断し、その結果がどうであれその責任を自分でかぶるということだ。

どちらをとるかはもちろん個人の自由だけれど、わたしから見ると後者のほうがカッコいい。

そんなことを直截的に説教するのではなくて、物語という流れの中で描く伊坂幸太郎という作家が、好きだ。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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