『グレート・ギャツビー/スコット・フィッツジェラルド(村上春樹訳)』

訳者あとがきとして、村上春樹氏はこう語っている。

もし「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャツビー』と、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。
どれも僕の人生にとっては不可欠な小説だが、どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)
ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)

個人的に敬愛する村上春樹にここまで言わせるほどの『グレート・ギャツビー』とは、どういう作品なのか。
前々から非常に気にはなっていた。
けれど、同時に手を出せずにいた。
こんな例えが適切かどうかはわからないけれど、「ショートケーキのいちごは最後に取っておきたい」という心理とあるいは似ているかもしれない。

「自分の準備が整ってから」
「もっと大人になってから」
そんな風に考えていた。

もちろんいつになっても「自分が大人になった」と胸を張れる時期が来るわけでもなく(そうこうしているうちに、もうすぐ25歳の年を迎えてしまった)、あれこれ悩んだり苦しんだり、日々は過ぎていった。

それでも、相対的に見れば「もうそろそろいいんじゃないかな」と思えるようにはなった。
受け売りばかりの考え方だけれども、たくさんの本に影響を受けて、自分なりに考え方の柱のようなものができあがってきた。
これを便宜的に「大人になる」と表現することが許されるのであれば、そろそろそういう第一フェーズみたいなものが、自分の人生の中で波として来ているのではないかと。

実を言うと、もうこれ以上「待て」をされている状態を続けられなくなったということもある。
明日終わるかもしれない人生において、これほど好きな作家が「人生の一冊」と掲げる本を読まずして、もうほんの少しだって生きていられなくなったのだ、というと大げさだろうか。

アメリカの富裕層の間で繰り広げられる、哀しくも美しい、ひと夏の物語。
人はどんな身分を持っていても、どんな宝石で着飾ろうと、心をぶつけあう時は丸裸になる。

ありとあらゆるものを手に入れても、こうと決めた人心を手に入れるまでは満たされない。
そこには恐ろしく盲目的な行動力と、偏見的な視点が入り混じる。

そうまでしても、いや、そこまで求めるからこそ、手に入らないこともある。
そのような結果の受け止め方でさえ、哀しいほどに盲目的である。

ああ、だから。
と納得する。
だから村上春樹の作品は、どこまでもリアルで哀しいのだ。
非現実的な描写をしている時でさえ、あまりにもリアルな、ありありとした現実として心に染みこんでくる。

そのような彼の文体は、ここから来ていたのだ。と。

ちなみに、個人的には『ロング・グッドバイ』はあまり染みこんでこなかった。
時代錯誤感が強すぎるのかもしれない。
あるいは、25歳の女が読むには、あまりにもハードボイルドに過ぎるのかもしれない。

『カラマーゾフの兄弟』は持っているものの、まだ手を出せていない一冊。

わたしには、「現時点での一冊」を何とか選ぶことはできても、「人生の一冊」と言い切れる本にはまだ出会っていない。
そういう、人生をまとめようとするものごとを決めるには、まだあまりにも若いと思う。
そう思うと、これから出会うであろう名作の数々に思いを馳せ、心躍らせることになる。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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