『夏の庭/湯本香樹実』

死んだ人を見たことがあるだろうか。

わたしが覚えている限りで死んだ人を見たのは、母方のひいばあちゃんが最初だったように思う。
そのひいばあちゃんは、小さい頃に何度か遊びに行った時も、いつもベッドで寝ていた。

わたしの名前を五分に一度は聞いた。
その頃わたしは妙に大人ぶっていて、「おばあちゃん、さっきも言ったよ」などとは言わずに、繰り返し繰り返し初めての自己紹介をした。

ひいばあちゃんにそんなことを言うのは、なんだか失礼な気がしたのだ。
だってわたしは小さな子どもで、ひいばあちゃんはおばあちゃんよりもずっとお年寄りで、「大人」だから。

きちんと敬意をもって接しなければならないと思っていた。

そんなひいばあちゃんが死んだ時、涙は出なかった。

ひいばあちゃんは最期までわたしをわたしと認識していなかったろうし、なにより彼女は90歳を超えていた。

「死ぬ」ということがごく自然に寄り添ってくる年齢まで、立派に生きたのだ。
そう周囲の大人が言っていたし、なによりわたしの目から見て悲しそうな人はいなかった。
死ぬことは、悲しいことじゃないのかもしれない。そう思った。

けれど、母方と父方のおばあちゃんが死んだ時は違った。

これまで話をし、互いに人間関係を築いてきた人が、花に囲まれてぽかんと口を開けている。
それは、もうわたしの知っているおばあちゃんではないみたいだった。

死んで悲しい、会えなくて悲しい、というのとは少し違った気がする。
そんな風に、見知った顔が、まるでもう人間ではなくなってしまったみたいに硬くそこに横たわっていることが、無性に切なかった。

大人になるにつれて、「死ぬ」ということの一般論みたいなことがわかってくる。
けれど、死そのものについては、わたしたちはいつになってもさっぱりわからない。

この『夏の庭』には、まだ幼い少年たちの「死」への純粋な興味が描かれている。

悲しみとしての死ではなく、現象としての死への興味。

近所の「もうすぐ死にそう」な老人の生活を覗き見するところから、少年たちの観察は始まる。

老人と交流するうちに、「観察」はその形を変えてゆく。

人は「死」そのものを恐れるのだろうか。

自分の死を?

大切な人の死を?

死をほとんど意識することのない、若葉のような少年たちの目線を通して、命のあり方を見つめる物語。

キレイな話だった。

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