『河合隼雄自伝: 未来への記憶 /河合隼雄』
ユング心理学を日本に正式に持ち込んだ人物ーー。
「箱庭療法」など日本の臨床心理学の礎を築いた河合隼雄。
彼の名前を最初に聞いたのは、村上春樹の『約束された場所で―underground 2 (文春文庫)』のあとがきを読んだ時だった。
『約束された場所で』については、こちらの記事でも言及しています
上の記事はかなり長くなってしまったので、河合隼雄が登場する特に印象的な部分だけを自分のブログから引用すると、以下の部分になる。
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この二冊を通して、一番わたしの胸に突き刺さってきたのは、巻末の村上春樹と河合隼雄の二番目の対談である。
対談タイトルは、「『悪』を抱えて生きる」。
かいつまんで引用すると、
本物の組織というのは、悪を自分の中に抱えていないと駄目なんです、組織内に。
これは家庭でもそうですよ。家でも、その家の中にある程度の悪を抱えていないと駄目になります。
そうしないと組織安泰のために、外に大きな悪を作るようになってしまいますからね。
(中略)
やっぱり人間というのはほんとにしょうもない生物やからね。だから自分の悪というものを自分の責任においてどんだけ生きているかという自覚が必要なんです。(河合隼雄氏)
ここでは代表して河合氏の発言を引用したが、大体がこのような内容で対談が進められている。
組織の中の、ひいては自分の中にある「悪」は否定すべき、あるいは排除すべきものではない。
どうやって責任をもってそれと共存していくか。
そこに大事な論点がある。
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社会、国、会社組織、家族、そして最後に自分に内包する「悪」の存在に気づき、それを否定し、絶望していたわたしにとって、当時この言葉はかなり胸に刺さってきた。
村上春樹と河合隼雄。
この二人がこうして世界にメッセージを発信している限り、この国はなんとかやっていけるんじゃないかとさえ思った。
ただ、残念ながらわたしがこの本を読んだ頃には、河合隼雄は亡き人になっていた。
戦争を直に経験した人なのだ。
戦後70年ーー。
この世代の人たちは、次々に寿命を迎えている。
この対談を読んでからというもの、わたしは「河合隼雄」という人物に対して個人的に興味を抱いていた。
そして、本屋さんで偶然見つけたこの本。
これを読んで、彼に対して抱いていた「畏れ」「畏敬」のようなものが、いい意味で少し和らいだ。
彼は、劣等感の塊だったと、自らを語っている。
もちろん、客観的に見ればとてつもなく優秀で、根性もあって、もう凡人には想像もつかないような挑戦をし、世界を渡り歩いているのだけれど、当人には全く驕っているところがない。
彼なりに悩み、劣等感を抱えながらも、それでもある意味でさらりと生きている。
そのギャップが、彼の人間味を感じさせた。
「人の心」を扱うプロとして名を馳せた人の人生は、少なくとも自分で振り返る人生は、こんな形をしていたのだ。
印象的な言葉をいくつか抜粋してみたい。
あくまで今のわたしに刺さった言葉たちなので、前後の文脈を読まないと真意が伝わらないところも多々あるかと思う。
興味のある方はぜひ本そのものを読んでみてください。
そのパターンは人生に何度も出てくるんです。
自分ではだめや思うてるのに他人の評価がちがう。P78
そして、これもぼくの特徴だけど、なにかきめようと思うたらなんでも先の先まで考えるんですね、そうでないとちょっとやる気がしない。P110
あるときに、親しくしていた人が若くして亡くなったのです。それは自殺だったのです。
それで、そのときに、もう臨床心理学をやめようと思ったんです、自分の親しい人の自殺がわからなかったのですから。
(中略)
林さんが「身近なもののことは絶対にわからない」と言ったのです。「じつはぼくにもある、ほとんど同じ経験だ。あとで考えたら、それは身近なものに対してはずっと希望的観測をするからわからないのだ」と言うのです。すごいでしょう。他人に対しては客観的に見ることができる、ということです。P172
この言葉は、親しい人のことがわからなくなった時に、それを否定するのではなく、それが愛ゆえだと言ってくれている気がした。
It is true, but pity you have said it.(それはほんとうだけど、言ったのは残念だ)P287
つまりリックリンが言いたいのは、日本人として日本に生きてきたおまえが、しかも、西洋の訓練を受け、それを身につけたうえで、日本の言葉で日本人になにを言おうとしているのか、そういうことでしょう。P296
これは、留学にせよ何にせよ、そこで学んだことをそのまま日本に持ち帰っても意味がありませんよ、ということ。
自分の中で咀嚼し、ちゃんと日本の文化に合う形で活かせと。
これは、留学経験のある自分にとてもリンクした。
人生のそういうことは、なになにしたのでどうなるというふうな原因とか結果で見るのはまちがっているのではないか。
(中略)
そういう軌跡全体がニジンスキーの人生というものであって、その何が原因だとか結果だとかいう考え方をしないほうがはるかによくわかるのではないか。P332
この言葉は、かつて同性愛者で踊り子だった自分の夫が、自分と結婚したせいで分裂病(統合失調症)になったのではないかと心の底で心配していた夫人に、河合氏が向けた言葉。
河合隼雄、戦争の時代を生きた人の考えに、平成生まれの自分にも共感できるところが山のようにあった。
そういった意味でも、彼を尊敬している。
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