『最後の瞬間のすごく大きな変化/グレイス・ペイリー(村上春樹訳)』

最後の瞬間のすごく大きな変化。
この題名を本屋で目にした時、すごく不思議な気持ちになった。

朝陽に目を細めるような。
いや、夕暮れ時の沈みゆく太陽が、最後の煌めきを見せてくれた時のような。

変化。
何かが、別の何かに変わる。
言葉にしてしまえばこんなにも簡単なこと。

けれど、著者のプロフィールを見て、ああ、と思う。
1922年ニューヨークに生まれ、ロシアからのユダヤ系移民の家庭に育つ。
フェミニストにして社会運動家である彼女は、人生の多くの時間を政治活動に費やした。
そのため、彼女は生涯でたった3冊の短篇集しか出していない。
それにもかかわらず、彼女の文章は、50年もの間圧倒的な支持を受け続けている。

「二律背反的」と、訳者の村上春樹が語る通り、彼女の書く文体は定義付けが難しい。
レイモンド・カーヴァーのように生々しく突き刺さるものでもなく、一見わけのわからない言葉の紡ぎ方。それでいて、核心を突いた台詞。登場人物のそれぞれが(おそらくは彼女自身や、彼女の周りの人たちをモデルにしているのだろうが)、ちゃんと血の通った人間を感じさせる。

人間は、ものを考える。
空想し、理想を語り、狂気じみたことをし、それでいて肉の塊としての己を捨てきれないでいる。
そういう、肉と精神と運命と、何もかも、人間を取り巻く事柄が、短い話の中にぽん、と投げ出される。
乱雑に、そしてそっと優しく。

この人はきっと、書くことを仕事にしたというよりも、己からにじみ出る全てを文字にしただけなのだろう。

彼女は言う、
「芸術はあまりにも長く、人生はあまりにも短い。人生には小説を書く以外にも、やるべきことがたくさんあるのよ」。
たしかにそうかもしれない。人は自らの人生を、心に偽りなく十全に生きるべきものなのだろう。(訳者あとがきより)

これは、「人生があまりにも長過ぎる」と感じるわたしにとって、なかなか厳しい事実だった。
きっと、自らの人生を、心に偽りなく十全に生きる人にとって、人生は短い。
わたしには、まだまだ迷いがあり、突き抜けておらず、それゆえに「いつになったら解放されるのか」という思いがつきまとう。

だから、自分らしく生きよう。そう決めた後でも、「これからも自ら命を絶つことなく、ちゃんと胸を張って生きていくとすれば」という前提がつく。
どうせ生きるのであれば、誰かに決められた人生ではなく、自分の血で、心で、生きていきたい。
「最悪、死ねばいいし」というカードは、時に精神安定剤になる。
それも、そろそろ捨てよう。
きっと、素直に生きていけば、全うしていれば、人生は短い。
それを受け入れてくれない世界なら、自ら命を絶たずとも、きっと社会がわたしの心臓を止めるだろう。

村上春樹という人を通して、知った作家がたくさんいる。
おおよそ彼らに共通して言えるのは、「こういう世の中の見方をする類の人間がいるなら、わたしだって本当のままのわたしで生きていけるのかもしれない」と思わせてくれること。

気になった文章を、いくつか抜粋しておく。

精神の平均寿命って、何歳くらいなのかしら?P184

賢者にはひとことで足りる P272

私は国の名前よりもよく花のことを知っているの。最近の若い人たちはたくさんの国に旅行をしているみたいだけれど。P278

彼女は、こういう人だ。

The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。