『3652』『仙台ぐらし』/伊坂幸太郎

「エッセイが苦手」
こう公言する伊坂幸太郎のエッセイ本2冊。
彼ができるだけ断るようにしているエッセイにもかかわらず、なぜこうしてエッセイ本が出るのか。

「編集者の頼みを断りきれなかったから」
そう言う彼の言葉に、伊坂幸太郎自身の人の良さを感じずに入られない。

同時に、こんなふうに人に接していたら、きっと気疲れするだろうなとも思う。
心配症で、優しくて、それでも見えてしまう。
不器用な作家としての伊坂幸太郎が垣間見えるエッセイは、ファンには結構たまらない。
読み手を意識した心遣いが随所に見られる。

彼は、きっとその「見えてしまう」世の中のあれこれを小説に込めるのだろう。
暗に世界のシステムのようなものを批判する文章が、伊坂作品には多く登場する。
直截的ではないけれど、わかりやすくストレートに。
そういうのを発見すると、何だか嬉しくなる、
「小説でなら、フィクションでなら、声を大にしてもいいんだ! 直接は人を傷つけず、ある時には人を癒やし、表現ができる」
そんな風に思う。

そして、伊坂幸太郎という人は、やはりどこまでも優しくて気遣いをして、それでも自分という芯をちゃんと持ち、譲れないところは譲らない、そうでない限りは流されてもいいや、というようなところがあるように思える。
エッセイを読んでいると、この作家にかなり親しみが湧いてくる。

テレビやドラマは、ある意味でほとんど嘘ものだ。
というのは偏見に過ぎるかもしれないけれど、いい意味で言っても、視聴者を楽しませるためにかなりの割合でフィクションが混じる。

小説は、もうそれ自体がフィクションそのものだ。
その裏に作家個人の考えがかなり影響するにしても、それは違う世界を描いている。

そういう意味で、本当に人と接する以外の方法で「人の中身」を覗くのに、エッセイはかなり重要な役割を果たす。
特に、人と面と向かって話すのが苦手なわたしのような人間にとっては。

あるいは、人は面と向かって話していても、なかなか心の中までは見せてくれない。

物書き、という仕事は、その点では心のうちを世界にさらけ出す勇気が必要になる。

『3652』は、伊坂幸太郎デビュー10周年を記念して、これまでぽつぽつと書いていたエッセイをひとつにまとめたものらしい。
出不精の伊坂幸太郎が、自身の好みの本や音楽を紹介する。
干支にまつわるエッセイに苦労した話。
彼も、かつては様々な作家に影響を受けた無名の物書きだったのだ。
そしれ、今もその謙虚さと勇気から、彼は新しい試みを続ける。

まっすぐで、大好きになる。

時折、仕事が忙しくなったり、精神的に追い込まれるような役割を職場で担わされたりすると、「辞めて、小説に専念したい」と思いもしましたが、そのたび、「それは小説に打ち込みたいのではなく、単に、逃げたいだけじゃないか」と自分に言い聞かせていました。P197

この言葉にガツンと来る。
そうだ。わたしだって。
仕事が辛くて辞めるのはいい。
逃げることだって、勇気がいるのだ。
けれど、その逃げ先を「小説家」にするのだけはやめよう。
その道は逃げた先になんかない。
もっともっと、自分の中で確信を持てた時だ、とわたしは、仕事をしていて辛い時も、折にふれてこの一節を思い出す。

『仙台ぐらし』では、よりいっそう彼の内面が浮き彫りになる。
というのも、この本は、仙台の小さな出版社の雑誌に掲載していたエッセイをまとめたもので、震災を挟んだ5年間が詰まっているからだ。
最初のほうで、自称出不精な伊坂幸太郎から見た、小さな都会「仙台」が描かれる。
毎回ネタに苦労しつつも、半ばやけくそ気味で自分ルールにこだわったりする。
負けず嫌いだなあ。

そして、震災が襲い掛かる。
壊滅的な被害ではなかったものの、伊坂幸太郎自身もこの震災でかなりのダメージを食らった。特に精神的に。

後になり、『仙台学』の編集者、土方さんから教えてもらうのだが、「大きな被害に遭った人は、その影響で、急に泣き出したり、怒りっぽくなったり、虚脱状態になったり、塞ぎ込んだりする」らしかった。
「それは生き物の防御本能のようなものだから、そういう状態に自分はいる、と自覚しておくことが大事なのだ」と。P170

そんな彼のもとに、東京の出版社から震災についての記事依頼が次々と来るものの、彼は基本的に全て断っている。
それでも、本書には震災に関していくつかのエッセイが収録されている。
短いもの。
ぼろぼろだった彼が、なんとか絞り出した文章。

もっと大変な状況にある人のことを考えると、何を言えばいいのか分からなくなる P175

彼は、どこまでも優しい。
それでも、地元の出版社や新聞社からの依頼は受けている。
なぜなのか。
それは、文庫本の最後に収録された、仙台の出版社の編集者とのインタビューで彼自身の口から語られる。

僕は仙台市民だけれど、沿岸の人たちのように壊滅的な被害を受けたわけではない。家族も家も無事でしたし。
そんな僕が震災に関してなにを発信すればいいのか、被災地の代表みたいになるのは、違うじゃないですか。
ただ、原稿を求める側は、被災地からの発信を求めているわけで、なかなか難しいんですよね。とはいえ、(中略)地元からの原稿依頼だけはお引き受けすることにしました。
(中略)
確かに仙台の中心部は日常を取り戻したように見える。
だけど、それを見てよそからやって来た人たちに「仙台はだいじょうぶそうですね」とかいわれると、ちょっと違うんだけどな……と思ってしまって。
この微妙な感覚を呑み込んだうえで、仙台の人たちは僕の文章を読んでくれるのではと思ったのと、やはり僕は仙台市民ですから、仙台に暮らす僕はいまこんなことを考えている、と同じ仙台の人たちに伝えなくちゃならない気もして。P250

この人は、仙台という土地が大好きなんだ。
わたしは、わたしの住むまちをここまで愛しているだろうか。
すぐにはうんと言えない自分がいる。

本の中に収録されている、実在する人物をもとにした短編『ブックモビール』で、彼は登場人物にこう語らせている。

「人ってのはな、その土地で生きているんだよ。まわりの人間とコミュニティの中で。だから、簡単には移動なんてできねえよ。ほら、シールと同じだ」
(中略)
「人が住み着いた場所を離れるのは、何か大事なものをぴりぴり引き裂くようなものじゃないのか」P202

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ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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