『カラマーゾフの兄弟(上)/ドストエフスキー』

非常にヘビーな本なので、なかなか手を付けられなかったシリーズ。
ついに読みました。
まずは上巻。

ひとことで言うと、人間の欲望と葛藤を、いい面でも悪い面でもものすごくリアルに描き出していた。

200年近く前に生まれた人なのに、ここまで新鮮なのはどうしてだ。
人間は、本質的にはこの200年で何も変わっていないということか。笑

時代背景的に、キリスト教の影響がすごく出ているけど、今の時代に通ずる点も多くあった。

まだ上巻しか読んでいないけれど、あらすじは以下の通り。
・物欲にまみれた最低な男がいた
・その男には、3人の息子がいる(うち1人は腹違い)
・長男ドミートリイは誠実だけど欲に弱く、感情任せな感じ。
・次男イワンは冷静沈着で世界を冷めた目で見ている。でも、どこか熱い面もある。
・三男アリョーシャは、敬虔なキリスト教信者。修道院にいる。今のところ、兄弟の中で一番まともっぽい。
・あらら、最低な男の隠し子っぽい男スメルジャコフ登場。

てな感じで、三兄弟(+1)の父親との揉め事や、色恋沙汰なんかを、当時のロシアの状況やキリスト教の観点も交えて物語は進んでいきます。

上巻で特に印象的だったのが、モンゴルへと旅立つことを決めたイワンが、弟アリョーシャに自ら創作した叙情詩を聞かせる場面。

なぜなら、人間と人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものは、いまだかつて何一つなかったからなのだ! P636

もしだれかがお前に関係なく人間の良心を支配したなら、そう、そのときには人間はお前のパンすら投げ棄てて、自己の良心をくすぐってくれる者についてゆくことだろう。
なにしろ、人間の生存の秘密は、単に生きることにあるのではなく、何のために生きるのかという確固たる概念なしには、人間は行きてゆくことをいさぎよしとせぬだろうし、たとえ周囲の全てがパンであったとしても、この地上にとどまるよりは、むしろわが身を滅ぼすことだろう。P641

地上には三つの力がある。そしてただその三つの力のみが、こんな弱虫の反逆者たちの良心を、彼らの幸福のために永久に征服し、魅了することができるのだ。
その力とは、奇蹟と、神秘と、権威にほかならない。P642

興味のある方は、このあたりだけでも読んでみてください。
人間が望むもの、その弱さなんかへの認識がかなり変わりました。

ドストエフスキーが意図したところとは違うかもしれないけれど、わたしはここからものすごい矛盾感とやりきれなさを感じた。

まず、わたし自身がもっとも恐れていることは、「自由を奪われること」。
これはわたしという人間が不機嫌になったりした経験則からなのだけれど、価値観を押し付けられたり、自分で納得出来ないのに「これをやれ」と言われたりすることがとても苦手。
それが自分の「自由選択」のもとで飛び込んだ世界で起こっていることなら、ある程度はそれも経験値だと割り切ることができる。

けれど、ここには「自由」は人間にとって手に余るものであるとされている。
そして、わたしはそれに心底納得してしまった。

ちなみにこの本における「自由」とは、信仰の自由であるようだ。
しかし、人間は「だれの前にひれ伏すべきか?」という問いへの答えに苦労している。
そして、争い続けている。
人類みながいっしょにひれ伏せる対象を求め続けながら。

まさにこの跪拝の統一性という欲求こそ、有史以来、個人たると人類全体たるとを問わず人間一人ひとりの最大の苦しみにほかならない。P640

つまり、地上で飢えている時に(そして人の物ごとへの飢えは尽きることがない)、目の前にあるパンを分かち合うことのできる人間はそういない。
けれど、キリストは彼らの服従をパンで買うことを嫌い、彼らの自由のために天上のパンを約束した。
ほんの一握りの強い人々は、飢えを耐え忍び、天上のパンのために地上のパンを黙殺した。

けれど、その他の弱い人々は?
飢えのために地上のパンを求め、いっそ自由を差し出して服従することを責めることができるだろうか。

《いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください》P638

この一節は、わたしの心にぶすりとナイフを突き刺した。
そうだ、わたしが普段「自由自由」と振りかざしているものは、ある程度地上のパンで腹が満たされた状態で、尚且つ社会規範という名のある一定のルールに服従することによって得られた、カゴの中の鳥が叫ぶ「自由」でしかないのだと。

ほんとうの「自由」は、大多数の人間にとって手に負えない。
自由は、幸福とは別のところにある。

そう思わざるを得なかった。

さらに興味深いことは、「神は人間が創りだした」という事実だ。
少なくとも、わたしは現時点でこの見地に立っている。
神は存在しないが、創りあげられることによってその存在をあるものにした、と。

これは、イワンが弟のアリョーシャとのやり取りでも述べている。

「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ」

これに対し、アリョーシャはこう返す。

「それなら、神だって同じことですよ」

人間は、あるいは無意識的に、自らの神的側面と悪魔的側面の両方を肯定しているのかもしれない。
引き続き、中巻を読み進める。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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