精神的自由と、孤独に慣れること

さっぱりすっかりニートになって5日目。
退職時のばたばたもあり、最初の方は疲れを引きずってしまい、まだまだ(精神的に)荒れていた。
あるいは後退していた、といっても差し支えないかもしれない。

とにかく世界がうるさくて、ひとりきりになりたかった。それができないなら、死んでしまってもいいとさえ思った。死んでしまっても?
その響きに違和感を覚えないほどには、くたびれていたのだ。

そういうわけで、予定よりも早い4月2日の夕方、僕はこの宝塚の地で、今は一時的に空き家となっている祖父の家で一人暮らしを始めた。

ひとりぐらし。
若い人にとっては、自由へのあこがれと切なさの混ざった、特に魅力的な含みを持つ暮らし方かもしれない。

僕にとってのそれは。
正直なところ、これまで一人で暮らして楽しかった試しはない。今日あった楽しい出来事、愚痴、寂しさ。そんな感情のひとつひとつを一日の終わりにまとめて吐き出せる存在なくして、僕の生活は成り立たなかった。誰かのためでなければ、料理ひとつでさえ億劫。

そんな自分の性格は痛いほどわかっているというのに、僕はうまく人と行動を共にできない。あくまでもマイペースな孤独恐怖症なのだ。
そんな面倒な自分を抱えて、今度ばかりは誰に見せるでもない、ちゃんと自分を甘やかす一人暮らしを満喫しよう。そんなふうに思っていた。

丸2日の引きこもり。
延々とYouTubeを再生した。
ジブリの映画を見た。
ヨガをした。
三年近く前に初めて書いた、小説の校正を始めた。
ビールを飲んだ。
おいしいパンの、小麦の甘みを噛み締めた。

ゆっくりとした時の流れを味わううちに、僕の心は急速に癒えていった。何時何処で何をしていても、誰にも咎められない生活。何より、自分自身に咎められない生活。
どうせなくなっていたかもしれない人生なのだ。
好きなように暮らして、命尽きればいい。
世界に恩返しがしたくなったら、また誰かのために働けばいい。それまでは、自分のために生きて、自分のために死にたい。

生きることと、死ぬことは対極にあるんじゃなくて、生きることの中に死ぬことが含まれている。
そんなふうに言った作家は誰だったか。

僕はようやく、精神的自由を手に入れた。
それはあるいは、孤独に慣れることと同義なのかもしれない。

雨の後にも、桜は散らずに待ってくれていた。
桜

The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。