おうちでキャンプしてみないか?

パンケーキ

 日本列島は、いよいよ本格的な梅雨を迎えていた。その早まった前触れが、週末の関東を濡らしている。今週の太陽は金曜日に燃え尽きてしまったらしい。

 「いやだぁー! キャンプ、キャンプキャンプ!」娘の美優が泣き叫んでいる。

 彼女は今年九歳になる歳を迎えるが、歳の離れた兄が一人いるだけなせいか、兄の裕也が同じ歳だった頃よりも幼い。それとも女の子はこんなものなのだろうか。一般的には女の子は精神的成熟が早いと思っていた裕太には、その事実が意外だった。もっとも、美優はときどきこちらがはっとするほど大人びたことを言う時もある。

 「そんなこと言っても雨なんだから仕方ないでしょう」

 「いやだ! てるてる坊主も作ったんだもん」

 「雨のおかげで、美優が食べるスイカも大きくなるのよ」

 「大きくならなくていいもん。キャンプに行けなかったらスイカ割りできないんだもん」
 まだ雨の理屈がわからない美優はゴネ続ける。このまま行くと、妻の優里のほうまで爆発してしまう。

 今日は、土日が休みではない裕太が珍しく土曜日休日を取ることのできた日だった。昨年、美優の誕生日前に購入したバーベキューセットも一度しか使っていない。本格的に暑くなる前なら、と優里も野外キャンプに同意してくれたのだ。キャンプという行事が初めての美優は、今日をとても楽しみにしていた。そしてその予定は、気まぐれな雨雲によって水に流された。

 「美優は世界に嫌われてるの?」最近の美優はやけに抽象的な言葉を発することがある、と妻が言っていた。

 「そんなことないよ。美優、よく聞け」数日前から今日が雨だということを知っていた裕太は、美優の頭に手を置く。

 「パパな、実は『雨の日おうちキャンププラン』も考えてあるんだぞ」

 「えっ」娘の涙が瞬時に引く。子どもの感情の移動というのは、実に不思議ですばやい。

 「ちょっと、家でバーベキューはダメだからね」妻が咄嗟に口を挟んでくる。

 「わーかってるって」裕太はまだ寝巻のまま、早速テントをリビングに運んできた。「ママ、一日だけリビングをキャンプ場にしていい? お願い」裕太は昨日部屋を掃除したばかりだと言っていた妻に向かって手を合わせる。

 「おねがい」まだ事態が飲み込めていない美優も裕太の隣で拝みだす。

 「しょうがないわね。危ないから美優はテントから離れてなさいよ」裕也ー、家の中にテント張るの手伝ったげてー、と妻が息子を起こしに行く。

 「よし、作戦成功だ」裕太は美優に向かって親指を立てた。

 続いて、裕太はおもむろに大きなダンボールを運んできた。

 「パパ、何それ」娘はすっかり泣き止み、涙ではなく期待で目を輝かせている。

 「美優、お前パンケーキ好きだろ?」裕太はまずパンケーキミックスの袋を三つ取り出した。ネットで話題になっている、こだわりの九州産のパンケーキミックスだ。

 「うん、大好き!」美優がうれしそうに頷く。このくらいの歳の子は、変に先を読もうとしないからいい。質問だけにシンプルに答え、裕太が思うとおりにゆっくり目的地に向かってくれる。

 「そして、じゃーん」続いて裕太は、パンケーキ専用のフライパンを取り出してみせた。

 「うわあ、お店みたい!」

 「これを使ってな、テントよりも高いパンケーキタワーを作るぞ」裕太はついに、隊長が隊員に秘密の作戦を打ち明けるように、したり顔で言った。

 「すっごい」美優はもはや発するべき言葉を失ったように見えた。それはおそらく、あまりにも唐突に差し出されたキャンプの代替プランの魅力が、彼女の脳内処理速度を上回ったのだろう、と裕太は希望的観測にもとづいて娘を見ていた。

 「最後に上からこれをぶっかけるんだ」とどめの一発、と言わんばかりに裕太は1,326gものメープルシロップが入った容器を取り出した。

 「そんなの、冷蔵庫のどこにしまうのよ」言葉を失った美優の代わりに、妻の優里が裕太につっこみをいれた。

 「こういうのは雰囲気が大事なんだよ。優里にはこれ」そう言って裕太は、箱の一番底から一冊の本を取り出した。
 青と白のギンガムチェック柄のランチョンマットに載せられたまっさらな白の皿の上に、色とりどりの果物と粉砂糖で化粧をしたパンケーキの写真が表紙を飾っている。『The ハワイアンパンケーキレシピ —ハワイの行列店の味をおうちでも!』とその題は謳っていた。

 「ほら、ハワイに連れてってやれるのはまだもうちょっとかかりそうだけど、あのパンケーキうまいって言ってたから」裕太は少し照れながらその本を妻に手渡す。裕太と優里はハワイで挙式をしており、その際に向こうで食べたパンケーキの味が忘れられない、と優里は結婚記念日の祝いをするたびに口にしていた。

 目の前で優里は本を手にしたまま黙り込んでいる。俺は今日、女の口を二つも塞いじまったんだな。裕太は柄にもなくそんなことを考えてみる。

 「美優、ママと買い物行こうか」優里がぱらぱらとめくっていた本を閉じて娘に声を掛けた。

 「生クリームとか、いちごとか買いに行こう」

 「うん! 美優、バナナとチョコレートも買いたい」先ほどまでの険悪なムードは消え、女子二人はきゃあきゃあ言い出した。

 「じゃあそのあいだにパパは兄ちゃんとテント建ててるから、それ終わったらみんなでパンケーキ焼こうな」うん、と力強くうなずく娘の笑顔がまぶしい。

 どこへも出かけたくなくなるような雨の日、おうちキャンプだって悪くない。

【以下、裕太がこっそり注文していた品々です】
このパンケーキミックス、ほんとうにわりと話題みたいで、気になっています。
 

こんなのでパンケーキを焼いてもらえるなんて、美優がうらやましい。

こんな大きさみたことない!
と見せかけつつ、うちにはこれが常備してあります。わたしひとりで消費します。

優里の心をつかんだのは、この一冊。
このあたりの気遣いができる裕太はイケメンです。

あとがき

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※内容は同じです

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
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