僕は保険見直し隊。今年で23歳です。
ある休日の午後。私はパンを焼いている。うちの畑で採れた新玉ねぎをたっぷり混ぜ込んだ、自慢のオニオンブレッドだ。
先に焼いておいた、熟れすぎたバナナを使ったケーキの匂いと混ざって、おかしなことになっている。
こういうのを、世間では「カオス」と呼ぶのかもしれない。
今どきの若者の言葉はよくわからない。
コロリーンコロリーン。
ベルが鳴る。
来客だ。
2週間ほど前にインターホンを付け替えてから、私の家の呼び鈴はなんだか呼び鈴らしくなくなった。
「はーい」と、ワンタッチで答える。
いかにもキャッチセールスのような、若いお兄さんが立っている。
「失礼します。私、保険見直し隊という者でして、今チラシを配らせていただいています。お受け取りいただけますでしょうか?」
ホケンミナオシ隊?
私は一瞬、ヒーロー戦隊のふりをした変態に訪問されたのかとのけぞった。
が、すぐに合点する。あぁ、保険のことか。
「ええと、外に出たほうがよろしいですかね?」
と、できるだけ刺のない言い方を心がける。
相手にそう求められ、年頃の私は寝巻のまま、年頃の男性の前に姿を晒す羽目になった。
ここからの会話はご想像のとおり。
私はこういう時、できるだけ自分が家のことを何もわかっていない子供のふりをする。
「えっと、わたし。よくわからなくて。ごめんなさい」
「奥様でいらっしゃいますか?」
奥様ではない。これは事実だ。
「いえ、そういうのは父と母に任せっきりで…」
「ちなみに奥様は保険に入られてますか?」
だから、奥様ではない。なぜ伝わらないのだ。
「えっと、私まだ学生で……」
これは嘘だ。
学生だったのは、去年の秋まで。私は今年で24歳になる。
「あ、でも留学した時に入ってた気が。あ、でも全部母にやってもらったので……」
嘘をつくと、途端に私はしどろもどろになる。
「そうなんですね! 失礼しました。それは留学用の保険で〜〜〜〜」彼の話は続く。
「〜〜〜〜それで、今はおいくつですか?」
「に、にじゅうさんです。今年で。留学で卒業が遅れて、今5年生なんです」
うそつき。慌てて頭のなかで計算したにしては、上手くできてはいるが。
「えっ、じゃあ僕と同い年だ! うわぁ」途端に彼の顔が、親近感からぱっと輝く。
「そうなんですね! 私もしっかりしなきゃですね〜」なんて笑いながら返す。ほんとは年上だけど。
小さな嘘が生んだ、ちょっとほっこりする親近感。
こういう時、なんだかすごく悪いことをしてしまった気になる。
そして、自分より年の若い人が、土曜日の午後に汗を流して仕事をしていることも、なんだか私をむずがゆくさせる。
ごめんね。
年下の男の子に少し罪悪感を感じながら、私はまた自由な午後へと旅立ってゆくのだった。
あとがき
この物語を楽しんでいただけましたか?
面白かった! ほっこりした! と思ってもらえたら、以下のリンクよりnoteを購入(100円)していただけると活動の励みになります(*^^*)
※内容は同じです
書いた人
-
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
新しい書きもの
小さなお話2021.04.20給湯室のキメラ[小さなお話69]
言葉の切れ端2021.04.17よしよしよしよし[言葉の切れ端220]
言葉の切れ端2021.04.14君を不幸にする要素[言葉の切れ端219]
言葉の切れ端2021.04.11民のために水をせきとめた手は[言葉の切れ端218]
新刊発売中!
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。
『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円