好き。きらい。シリアルとナッツ。

「637えんになりまーす。おきゃくさま、ありがとうございます」

ちくり、と胸が痛む。

家の近くのパン屋さんには、隣接する障害者学校の卒業生たちが日替わりで働いている。

「ありがとうございます」にっこりと微笑み、お釣りを受け取るあたしは、また左手で自分の太ももをつねっていた。

もう何年も。
あたしは自己嫌悪の材料を見つける度に、そうして自分の左の太ももを力強くつねる。
リストカットなんて派手なことはしない。

それが、あたしが自分自身の甘さに課した、唯一の罰なのだ。

まただ。とあたしは思う。
またこうやって、いい人のふりをする。
拙い日本語を話す手際の悪い障害者を温かい目で見守る、良質な地域の住民の一人になる。

この人たちは。
あたしをいつもどん底に突き落とす。
言い訳をすればいいじゃないか。
障害を持っているというのは、武器になるんだよ。わからないかな。

そんなに頑張らなくても、一生懸命にならなくても、愛してもらえるんだよ。
そこにいるだけで、生きているだけでいいって、そう言ってもらえるんだよ。
なんだよ、じゃあ元気で頑張ってないあたしはなんだって言うんだよ。ねえ。
あなた達がうらやましい。
そう思うあたしは、やっぱりどこまでもサイテーな人間だ。

誰にでも好き嫌いはある。
食べ物も、人も、テレビ番組も、音楽も、本も、セックスの仕方も。

好みや個性で片付けられるうちは、そういう好き嫌いは愛嬌がある。

けれどあたしは。

もうどうしようもないほど、好き嫌いが激しい。
特に食べ物と人の好き嫌いが。

いや、好きな食べ物と好きな人がほとんどないと言ったほうがいいだろうか。
ぽりぽりぽり。
いつもシリアルとナッツばかりを口に含んでいる。

こころをゆるさない人と一緒に何かを食べなくちゃならない時、あたしはほとんど発狂しそうになる。

だれかとずっと話していなくちゃならない時、あたしは恐怖で押しつぶされそうになる。

あたしの中にはいってこないで。
頭のなかに、きれいな思い出をたくさん並べているのに。いつでも取り出して眺めることができるようにしてあるのに。
そんなにきたない足で、くつあとをつけないで。

元に戻せなくなってしまう。

ぎとぎとした食べ物や、死んだ食べ物を口にした時もそう。

せっかくうまくまわっている歯車が、全部錆びついてこわれてしまう。

それでもあたしが今生きているのは。
そんなどうしようもなく役立たずで、身勝手で、傲慢で、何の価値もないあたしが生きていられるのは。

「おまえがいてくれるだけで、隣で息をしてくれるだけでいいんだ」なんていう人がいるから。

押入れに閉じこもっている時も、なにもかもを投げ捨てたくなって深夜のコンビニで店にあるプリンを全部買い占めて、ひとりで泣きながら公園で食べた時も、食卓の下であなたの手だけを握って左の太ももをつねっていた時も。

いつもダイニングの一番左奥のいすにあなたがニコニコして待っていてくれるから。

なんて不思議で、変なことをいう人なんだろう。

「あなたって、きっと悪趣味よ」あたしは真顔でその人に言ったことがある。

その時も、その人は美味しいコーヒーを2杯入れて、笑っていた。
本当にこの人の頭のなかはどうなっているのだろう。

それが愛だ、といった時だけ、あなたはちょっと真面目な顔になって、あたしはばかじゃないのと言った。
その時もあたしは、シリアルとナッツばかり食べていた。まるで精神安定剤のように。

もし。
もしもこの人があたしよりも先にここからいなくなったら。

誰もあたしの「存在」だけで満足してくれる人がいなくなったら。

あたしはあの障害者学校の人みたいに、ううん、体が健康な分、もっともっとがんばって生きていかなくちゃいけないのかな。

誰かの役に立つことを必死で見つけて、その人たちの期待に添えるように、顔色をうかがってひとときも休まらずに、それでもうまく自分の存在を認められなくてずっとずっとがんばりつづけて。

終わりのないマラソン。

それでもずっと全力疾走じゃないと不安だった、あの時みたいに、一人で生きていこうとするのかな。

あたしはもう知ってしまった。

誰よりも人が嫌いで、誰よりも自分が嫌いで、誰よりも自由を手に入れたくて、

それなのに誰よりもひとりになるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、さみしがりやなあたしは、自分の中に矛盾を抱えて生きている。

心を閉じて、なにも感じない「無」になって、ただ肉体が終りを迎えるまで待つことはできそうな気がする。
人の心を読むのはとくいだから。
冷や汗をかきながらうまく世渡することはできるから。

でも、そうまでして生きていかなくちゃいけないのかな。

あたしがあたしでいてもいいのなら、それを許してくれないこんなところとはもうお別れしてもいいんじゃないのか。

そう思うのは、きっと甘えなのだよ、と何処かから声が聞こえる。自分の中だ。

ぎゅううううう。あの人の手を握る。

ぎゅううううううううう。どこにも行かないで。あたしが強くなるまでは。

そうしていつか、あたしがあなたを支えるの。

あとがき

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※内容は同じです

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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