東西線電車に潜む魔物

「ツイている」
と、僕は思う。

そう、僕は運に恵まれている人間なのだ。
いつだって、人事を尽くして天命を待っていれば、想像もできないような素敵な結果が舞い込んできた。

今日もその例に漏れない。
僕は急いでいた。
去年結婚した妹が、久しぶりに実家に帰ってくることになっている。
北新地にあるデパートで買った、妹の好物であるチーズケーキを抱えて小走りに改札をくぐる。

17:51発 松井山手行き――
2分後に目当ての電車が発車することを電光掲示板で確認し、彼はホームへ続く長いエスカレータに乗り込む。

間に合うとは思うが、念のため、エスカレータの上でも歩いて時間を短縮する。
巻きで行動して、損をした試しはない。

このような心がけも、自分が運に恵まれる一因なのだと自負している。
運は自分でたぐり寄せるものでもあるのだ。

ホームは幸いさほど混雑しておらず、すんなりと座ることができた。
反対ホームの人の列を見て、自分がそちら側に並ばなかったせいで彼らに降りかかった不幸をそっと詫びる。

席につき、文庫本を開く。
読書を生きがいを見出すようになってから、そろそろ5年になる。
作家たちが届けてくれた言葉に救われた経験は、数知れない。
静かに、物語の中に身を埋めていく。
周りの声は、もう聞こえない。

「カシマー。カシマー。」
聞きなれない駅名ではっと我に帰る。

もしや乗り過ごしたか?
不吉な予感が頭をよぎる。

いや、違う。
彼は静かに立ち上がる。

彼は悟る。
また、魔物が現れたのだ。
この線にだけ、地下に入る数駅の部分だけに発生する、魔物が。

彼が乗っていたのは、自宅と全く逆方向の電車だった。
彼が乗るべきは、かの行列している方の電車だったのだ。

どうして気づかなかったのだろう。
ホームに降りた時、左側が自分の乗るべき電車だと信じて疑わなかった。
行き先を確認するべきだったのに。
せめてもう少し早く気づくべきだったのに。
全く同じ過ちを、彼はもうすでに過去3回犯していた。

次は絶対に間違えない。
そう誓うのに、北新地から電車に乗る時はいつも決まって左側の線路に来た電車に飛び乗ってしまう。

出たな。
彼は深くため息を付き、目の前で閉まるドアを睨みつける。
きっと妹は、今回ばかりは呆れてしまうだろう。

「お兄ちゃんは、ツイているんじゃなくて楽観的に過ぎるのよ」
よりによって、結婚式に運動靴で行ってしまい、運良く二足持ってきていた叔父に借りて事なきを得た去年のことを思い出す。

チーズケーキの保冷剤、余分に2時間分もらっておいてよかった。
反対方向に乗ったおかげで、あの行列にも並ばずに済んだ。

次こそは絶対に、この東西線に潜む魔物を退治してやるのだ。

あとがき

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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