俺たちは公務員なんだからさ、「公平」じゃなくて「平等」なんだよ。

じりりりりり

ああ、またあの人からの電話だ。
先日は、「ねぇ、今度の台風が怖いの。避難所を開けてくださらない?」という電話だった。

そんな時俺たちは、ほとんど何の疑問も感じることなく、使命感というよりは義務として避難所を開ける。
さほど雨も降らないほどの、規模の小さな台風が近づく中、あの一人暮らしで神経質な婆さんひとりのために。

きっと、あの人は孤独なのだ。
避難所配備職員と話をすることだけが、ほとんど夏の唯一の楽しみと言ってもいいのだろう。

今日は、これから窓口に彼女がやってくるという。
電話ではやけにご機嫌ナナメだった。
女性ってやつは、いくつになっても子猫のように機嫌がころころ変わるから具合が悪い。

こんな時の対応は、下っ端の俺がまず聞きに行くことになっている。
それでも収まらない時には、管理職に引き渡す手筈だ。

窓口にやってきた彼女は、自らの体とその大げさな荷物で席を占領してしまう。今日も長くなりそうだ。
「ねえ、この間、市でやっている料理教室に行ったのよ。若い女の先生がやっていらっしゃるので、無料体験講座だってことで行かせていただいたのよ。ねえ、これって悪いことかしら? 独り身のあたくしが? ほんの少し世間様に顔を出すことが?」

「いいえ、とんでもない」
俺は作り慣れた笑顔で応じる。
「あの講座は市民様向けに行っているものです。無料体験がお気に召されたら、有料講座を続けられるのも結構だと思います。民間に比べればさほど値も張りませんし」

「まぁ、あんなところ、二度と行きますか」と、その人は待ってましたと言わんばかりに眉を大きくハの字にねじ曲げた。
俺はこのタイミングで、椅子を彼女に向かって斜め45度に傾ける。
人は、対面で話す時には少々威圧的になってしまいがちだ。
このように斜め45度の姿勢で話を聞くことで、相手の態度がいささか和らぐことを、俺はこの仕事を15年続けた経験から学んでいた。

「聞いてくださらない? あたくし、バナナのアレルギーがあるんですのよ。だから、その料理教室でも、事前にそれはお伝えしましたの。メニューにバナナのケーキってのがありましたからね」
彼女の声は、フロア中に響いている。
俺は、ズボンの膝のあたりをぎゅっと掴みながら、あえてほとんど声を出さずに大きく頷く。
こんな時は、ただ言わせておくに限る。特に相手が女性である場合には。

「それなのに、その教室では相変わらずバナナのケーキが出ましたの。あたくしの分は、何もなかったわ。それがそちらさんの『配慮』ってやつなのかしら」

「それは大変失礼いたしました。僕もあまりバナナは好きではありません。けれど、アレルギーは深刻ですものね。管理者にきちんと指導しておきます」
「好き嫌いの問題ではないの。アレルギーなのよ。アレルギーのある人は、デザートを食べる資格もないということかしら? 文句があるなら、もう来てくれるな、とまで言われたわ。こっちは税金を払ってるっていうのに」

「無料体験という特質上、代替メニューが用意できなかったのかもしれません。申し訳ございません。ちなみに、その他のメニューはどういったものだったのでしょうか? 実は恥ずかしながら僕、料理というものが一切できないもので、そろそろ外食ばかりも体に悪いかと思い、一度参加者としてそこに参加してみたいと密かに思っていまして」
俺は、話題の転換を試みる。

「海老のグラタンと玉ねぎのスープだったと思うわ。そもそも、市が主催している料理教室なら、もっと地元の食材を使った昔ながらの和食を伝えていくべきじゃないのかしら。あの若い女の先生の手つきもおぼつかなかったわ。こっちは一体何年主婦してきたと思ってるのかしらね」
彼女は小馬鹿にしたように言い放つ。

俺の勝利だ。
この流れに持っていければ、もうゴールは近い。

彼女は「肉じゃが」「キンメの煮付け」「五目豆」とその他2,3のレシピをとうとうと俺に伝授し、満足気に帰っていった。
実際に包丁をほとんど握ったことすらない俺には、彼女のレシピを再現できる自信はない。

さて、これで仕事の半分が終わったことになる。
次は管理会社への連絡だ。

市の主催、と謳ってはいるものの、実際は市の持ち物である建物の管理を民間に委託し、その貸部屋を運用して民間が利益をあげられるようにする仕組みになっている。
当然民間のする事業になるわけだから、利益の追求が第一となる。

「この度は誠に申し訳ございませんでした」
管理会社の担当者が報告書を携えて役所を訪れる。
「あの方は以前も別の教室の無料体験に参加されて、ほとんど言いがかりに近いようなクレームを何度も繰り返されて、受講生の方からもお怒りの声を頂戴していたんです。それに、今回の料理教室の先生も、市民の方からは大変評判が良い方で。けれども、あの方が参加されるならもう講師はできないと言われてしまいまして。こちらとしてもそのような形で事業がなくなってしまうのは残念ですので、あの方には今後の参加をご遠慮願いたいと申し上げた次第でございます」

そうだ。
確かにあなたの言うことは、正論だ。
俺は心の中だけで、そう思う。
民間的には、正論なのだ。

営利企業。
それは、自社の利益を追求するという目的のもと、時には客を選ぶ。
金になりそうな優良顧客を囲い込み、そうでない顧客は時に締め出す。
考えてみれば、当たり前のことなのだ。
金を払って楽しく料理教室に参加している人々のために、金を払わずに体験だけ参加して、場の空気を乱す婆さんを締め出す。
これほど「公平」なことはない。

けれど、いくら業者に委託しているからといって、これは「市の事業」なのだ。
行政は、市民に対して「平等」でなければならない。
これが難しいところなのだ。
恐らく、謝罪に来た担当業者も心の底では納得していないに違いない。

「とにかく、行政サービスという特性上、顧客への対応差はできるだけないように指導をお願いします」
俺は半ば気の毒に思いながら業者にそう告げる。

「あんな迷惑な人、断っちゃえばいいのに。あれを許してたら、いくらでも傲慢になりますよ」
ようやく席に戻った俺に、民間経験枠で入った女の後輩が呟く。
「ああいう人に対応すること自体、税金の無駄遣いです。信じられない」

「お前、なんで公務員になった?」
俺は久々にこの問いを後輩にぶつけた。
前の部署にいた時も、確か男の後輩に同じことを問うた。
そもそもこの考え方は、公務員だった親父に叩きこまれた考え方だった。

「なんでって……実際のところ、裏向きの理由ばっかりですよ。かっこいい理由なんてありません。第一に安定感。あたし、お金はあんまりいらないんです。でも、ひもじい思いをするのだけはイヤ。平均点の人生を生きていきたいんです。あとは、民間企業の『ムリヤリ消費を生み出してます』って感じに、もう嫌気が差したんです。人間の体を騙してまで食品を売る企業。いらない保険を押し付ける企業。余暇にはテーマパークに行くように誘導して、そこで新たな雇用と消費を生み出す。そういう、ほとんど無限の繰り返しにうんざりしたんです。実際、カネを見る時の人の目って、本当に汚らしいんですよ。そういうのに耐えられなくなって。でも、公務員の世界も違う意味で結構ドロドロしてますね。理不尽レベルで言うと、民間の50倍は理不尽ですよ」
そう言って彼女は、バカにしたようにふっと笑う。

「いいか」
普段何事にも一歩退いたところから見て、特に誰に意見することもない俺は、久々にちょっと熱くなる。
「公務員って仕事はな、社会からつまはじきにされたやつこそ大事にしてやらなきゃいけないんだ。まともな奴は、ある意味では行政を必要としない。もちろん、節目ごとに行政がしてやれるサービスはあるがな。それも言わば自分たちが払ってきた、または払っていくであろう税金の範囲内で行われる。自分で寄り添うことのできる誰かを見つけ、本当に必要最低限の手続きだけを踏んでいればいい。俺たちが本当に相手をしていくのは、そういう『誰か』を見つけられない人、自分の中に柱を持たない人、もともとこの社会にうまくなじめない人たちだ。社会はわりに厳しいからな、下手すりゃ社会になじめない奴は厄介払いされて、野たれ死ぬしかなくなる。それを放っておいたのが以前の夜警国家だ。税金が安い代わりに、自分の飯は自分で確保する。それが今は、福祉国家になった。日本の場合は中途半端だがな。税金は払う。その分、万が一自分が『弱者』になっても、最終的には国が助けてくれる。税金を払ってこなかった奴でも、なぜかその恩恵は受ける。『公平』じゃなくて『平等』だからな。みんなに優しく、だ。俺らは弱い人を守ってるんだ。この弱肉強食の社会から」

気づけば定時を回っており、隣にいたはずの後輩はすでにいなくなっていた。
公務員って仕事は、身内にすらその存在価値をわかってもらいにくい。
かく言う俺でさえ、どこまでが「サービス」で、どこからが「奴隷」なのか明確にはわからないのだ。
俺も一度、民間企業に勤めてみたほうが良いのかもしれない。

あとがき

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※内容は同じです

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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