海遊館の裏側

「ねえ、カイ待って。ねえってば」
まったく、あの人には耳がついていないのだろうか。
今日もあたしはあの人の尾ひれを追いかけてばかり。いつまでこうしてるつもりなの? カイ。

変わった見た目をして生まれたあたしたちは、いい意味でも悪い意味でも特別な存在だった。親戚たちは貼り付いた笑顔の裏に異分子に対する軽蔑のまなざしを向け、関係のない群れの仲間たちは、退屈な日常の中に刺激を与えてくれる珍しい見せ物を祭り上げた。
ママはあたしのことを見るたびに涙ぐんで申し訳なさそうにする。何よりもそんなママの目が一番傷つくんだってことも知らずに。

パパ。
唯一あたしの存在を心の底から誇りに思ってくれていた人。
「ユウ。君は他の誰でもない、君なんだ。その綺麗な色を否定して、普通になろうとしなくてもいいんだよ。もちろん、頑張って特別な存在になる必要もない。ユウがちゃんとそのことを覚えていられるように、太陽がその色を少し分けてくれたんだ。太陽の届かないこの海の底で、ユウが太陽になれるように」
あたしが岩の陰にうまく身を隠せないで怯えている時、パパはいつもそう言ってあたしをサメから守ってくれた。心も体も、パパがいれば安全だった。

三ヶ月前。
パパは死んだ。
群れの中に突然大きなホースみたいなものが飛び込んできて、パパと数人の大人たちはそこに吸い込まれてしまった。
「パパは死んだの」
あたしがいくらパパは捕まったのだと言っても、ママはそう言って悲しそうにするだけだった。それがパパがいなくなったからなのか、あたしがこんな色をして生まれてきたからなのか、ママはもうずっと笑顔を見せない。

「パパは死んでない」
カイが唐突にあたしにそう言ったのは、ちょうど二週間前のことだった。
彼女はあたしと同じ色をして生まれた、あたしのお姉さん。
どうして「普通の」パパとママから二人も続けて黄色い魚が生まれたのか、親戚たちは訝しがった。それでもあたしたちは、ちゃんと二人の子どもだって、パパは言っていた。あたしはパパを信じてる。
「いい? パパは捕まったの」
カイは珍しく真面目な顔をしてそう言った。
「知ってるよ! 今さらそんなこと言っても遅いよ。パパはきっともう死んでる」
あたしが生まれるまでは一人でその数奇な人生を歩んできただろうに、カイはいつもマイペースだった。軽蔑の目を向けられようと、好奇の目を向けられようと、いつもぼうっと遠くを眺めているように見えた。あるいはそんな精神的孤独を飼いならすために、彼女はそうなったのかもしれない。

「二人でパパを助けに行こう」
カイとまともに話すのなんて、いつぶりだろう。
「何言ってるの? どうやって? パパがどこにいるのかもわからないのに?」
「あのホース、見たでしょう。あれは陸の人間が『海遊館』ってやつに海の人間を招待するための通路なんだ」カイは何も考えていないようでいて、物事をよく見ている。
「招待? でもパパは陸になんて行きたくなかった」
「そう。招待なんてのは表向きの外交的理由。本当はこの辺を陸の人間に明け渡す代わりに、三ヶ月に数人、海の人間を陸の娯楽に提供するってことになってるんだ」
「そんなの聞いたことない。ひどい」
「だから私たちが、次のホースで『海遊館』に行こう。この黄色い色は、陸の人間を楽しませる。この体はアドバンテージなんだよ。もっとも私たちは最後の切り札として泳がされているから、これは群れ全体にとって賭けでもあるけどね」
驚くべきことに、カイは外交を担当している群れのリーダーを説得して見せた。もう金輪際「招待」は受けないことを陸の人間に話をつけるという条件で。

そうしてあたしたちはここにいる。
パパはまだ見つからない。
違うエリアにいるのかもしれない。あたしたちの水たまりはとんでもなく目立つところにあるから。パパはもう陸の人間に飽きられたのかもしれない。
「ねえ、カイってば」
カイはここに来てから、また口を閉ざしてしまった。
「バカなふりをしていたほうがいいぞ。陸のやつらは俺たちに脳みそってやつがないと思い込んでるんだから」
そう言って、日がな一日岩に向かって話しかけたり、イソギンチャクの中で眠ったりしている。

まぶしい。目がおかしくなりそう。
太陽の光も、そうじゃない光もあちらこちらでぴかぴか光るここでは、黄色い色なんて珍しくもなんともなかった。「招待」の交渉はうまくいくのかしら。
ほら、黄色い服を着た男が近寄ってくる。あたしはできるだけなんでもない風に優雅に泳いでみせる。

海遊館_000

「ちょっと、待ってよ遥人」あたしはいつもこの人の背中を追いかけてばかり。女の子のペースを気遣えないのか、あたしのペースが遅すぎるのか。
「なあ、美佳子。あの黄色い魚のカップル、俺たちみたいじゃないか? 前のやつがお前で、後ろから追いかけてるのが俺」
「ばかじゃないの」あたしはため息をつく。
はか。いつも追いかけてばっかなのは、あたしのほうだよ。
悔しいから、それは言ってやらない。

「いいよな、魚は。会社のストレスとか、そういうの全然ないんだろ。待ってたらメシが出てきて、騙したり騙されたり、守らなきゃいけないものなんかもない。俺、生まれ変わるとしたら魚が良いわ」遥人は両手をすいすいと泳がせて見せる。
「あんた、あたしとこの子を守るのがいやなわけ」
「何言ってんだよ! そんなわけないだろう。守るもんがなけりゃ、俺は何のために毎日必死で働いてんだよ」
「遥人ってよく矛盾したこと言うよね」
「人間ってのは、矛盾した生き物なんだよ」
そう言って、三ヶ月前にあたしの夫になった男は眉間にしわを寄せて目を細めてみせる。
「なあ、記念にこの二匹に名前つけよう。海遊館だから、カイとユウ。もしお腹の子が双子だったらさ、カイとユウにしない?」
「絶対イヤ」
彼のこういう単純さに辟易することもあれば、救われることもある。貴重な休日に、マタニティーブルーになっているあたしを連れ出してくれるところとか。それにしても海遊館はベタ過ぎると思うけど。

「ねえ、遥人はパパになってもどこにも行かないでね。魚になんて、なっちゃだめだよ」目の前の二匹の黄色い魚を見て、あたしはふいに不安になる。
「ん? お前、たまにかわいいこと言うのな。じゃあこのままユニバでも行っちゃう?」
「妊婦にユニバ? 頭大丈夫?」
「あー、じゃあ串かつ! お前はアルコールなしな」
カバンの中から取り出した小さな観光ガイドを片手に、白い歯を見せてにかっと笑うこの人は、たぶんいいやつだと思う。あたしはあたしの選択をそろそろ認めてあげなくちゃ。マリッジブルーとマタニティーブルーが同時にやってきて、たぶんちょっと不安になってただけ。もう次に進んでもいい時期かな。あたしにももうすぐ守るものができるから。
「お好み焼きと串かつとどっちがいい? 久々に新世界行っちゃう?」
「天王寺のパンケーキ屋さん。お酒飲めないんだもん」
遥人の手から観光ガイドを奪い、フルーツのたっぷり乗ったパンケーキのページを指差す。
「えええー、まじかよー」
もうちょっとわがまま言ってやってもいいか。

あとがき

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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