世話いらずの花選び

 「王子さま、ダンスをおどりませんか?」数メートル前方でひかるがピンク色のドレスをひらりと翻しながら、右足を曲げて左足の後ろ側に引く。

 「結夏ちゃん、きれいだったねぇ。桜もきれいだねぇ。」隣で和樹がつぶやきながら、喜んで、姫、とひかるに応える。

 「普通は王子のほうが先に誘うやろ」なーひかる、と娘に同意を求めるも、娘はさらに数メートル先に駆け出している。蛍光ピンクのドレスの前では、桜の微妙な桃色はほとんど白に見える。ゴールデンウィーク最後の週末、北海道では桜が見頃を迎えている。もうすぐ日が暮れる。ひかるがいるから、と二次会は遠慮させてもらった。

 「ああ、せっかくのドレス姿やのに。でも、結夏ちゃんと後藤カップルが結婚かあ。そらあたしらも歳取るわ」

 今日結婚した結夏ちゃんと後藤は、ここでできた初めての友達だった。京都にある四年制の大学を出た後、なんとなく就職した地元の和歌山にある小さな税理士事務所。何ごともなければ、あたしの人生はそこで繰り広げられていくはずだった。いや、特に何もなかったのだ。と香代は思う。本当に、あそこに就職してからの五年間は、何もなかった。恐ろしいくらい、なにも。そして二十八歳になった翌年の春、会社を辞めた。次に行くあてもなく。

 それから香代は、旅に出ることにした。人生に迷った二十代後半の女にありがちといえばありがちかもしれない。五年間である程度お金も貯まった。女ばかりの職場で出会いもなかった。結婚資金にする予定だったけれど、彼氏の一人もいやしない。海外の一人旅は面倒が多そうだったので、とりあえず北海道から順番に日本列島を縦断しようと決めた。

 そして、ここで和樹に出会った。結夏ちゃんと後藤にも。そう考えると、今こうして和樹と家庭を持ち、笹原香代として、五歳になる娘と北海道暮らしをしていることが奇妙に思えてくる。現実は小説よりも奇なり。和樹は当時二十三歳の、まだまだ子どもに毛が生えたみたいなやつだった。

 「ぱぱぁ」気が付くと香代たちの歩みがひかるに追いつき、娘は和樹と手をつないでいた。

 「このお花、なんていうの?」ひかるに言われて、香代と和樹は道端に目を向ける。そこにはごく控えめに、けれど鮮やかなピンク色のマーガレットが咲いていた。桜に気を取られていて、全然気が付かなかった。

 「それはね、名もなき花だな。武士は名乗らないんだよ」
 「マーガレットやん」答えられない和樹に、香代はすかさず突っ込みを入れる。

 「マーガレットって言うん?」ひかるは、香代と話す時だけすこし関西弁が交じる。香代は北海道に来てもこちらの言葉に染まらなかった。

 「うん、ちょっと早いけどな。地面の近くはあったかかったんかな」

 「持って帰ってもいい?」そう言ってしゃがみこむひかるに、ああドレスが、と香代は思う。

 「だめだよ」和樹が少しだけ声を低くして、ひかるを抱き上げる。

 「このお花はね、まだ生きてるの。だから、ちぎっちゃだめ」

 「いつ死ぬの?」純粋な疑問から投げられたひかるの問いは、ひどく冷淡に聞こえる。

 「死なない。お花が咲いて、ちょっとお休みして、芽が出て、また咲くんだよ。今ひかるが摘んじゃったら、もう二度と咲けなくなるだろう?」

 「いくらするの?」ひかるが再び問いかける。

 「「えっ」」香代と和樹は声を揃える。

 「ゆいかちゃん、言ってたよ。今日のけっこんしきに使ったお花は、すごくお金がかかったんだよって。こんなにもきれいなお花をこれだけあつめるには、ひかるが三つの時からずっと働いても足りないくらいなんだよって。あの花たちは、死んでるの?」

 「ひかる、このマーガレットは買えないんだ」和樹は覚えたての花の名前を口にする。

 「あの花たちはもう死んでる。死んだあとだから、人間が売ったり買ったりしてもいいんだよ」

 「死んだら価値がなくなるの? だからお金で買えるようになるの?」

 「こいつ、けっこうすげえ奴になるかも」和樹は香代のほうを見て、目を丸くする。

 「人は、」香代は七年前に一人で見たラベンダー畑を思い出していた。
 「自分たちだけじゃ、お祝いごとをして嬉しくなったり、お葬式をして悲しんだり、誰かを喜ばせたりっていうのが上手くできへんのやと思う。だから、お花の力を貸してもらうねんな。その代わりに、お花を育てることでなんとかチャラにしてもらってるんちゃうかな」ちょっとひかるには難しかったか、と笑ってごまかしてみる。

 「じゃあひかる、お花そだてたい。ピンクのまーが、まーれがっと」

 「お、いいな」和樹が応戦する。

 「あかんって、どうせすぐ飽きるんやし、その後世話するのあたしやんか」香代は小さく和樹に舌打ちする。

 「じゃあ、観葉植物とかは? 手間もかからなさそうだし、部屋の空気もきれいになりそうだし」言いながら和樹はすでにスマホを取り出して調べはじめている。

 「観葉植物なんて、ピンクのマーガレットとは対極にある植物やん」

 「あ、これとかいいかも。人気っぽいし。ほれ」
 差し出された和樹のスマホには、桜の盆栽が映しだされている。

 「桜、もう季節終わるやん。それに、外で見る桜のほうがダイナミックやし」香代は一蹴する。

 「葉桜からだんだん蕾が出て、春に花咲く過程を見るのがいいんだよ。わかんないかなー」ぱぱ、あるきすまほはいけません、とひかるが幼稚園で覚えてきた社会の決まりごとを父親に教える。

 「なー、パパ悪い子やなー。あ、これは?」香代は和樹のスマホを奪い取り、赤い花のページを開いて見せる。

 「『枯れないお花 プリザーブドフラワー』って、これ植物育てる概念なくなっちゃってるし」

 「明日母の日だし、くれてもいいんだよ?」

 「お前は俺の母親かっ」和樹は香代と結婚してから突っ込みがうまくなった。

 「ねえ、ピンクのマーガレット!」会話に置き去りにされたひかるがごね出す。

 「はいはい、じゃあそのお手てに持ってるお花のお世話が一週間できたら、買ってあげよう」香代は娘に勝算の高い取引を持ち出す。

 「ほんと?」ひかるは先ほどの結婚式で花嫁から受け取ったブーケを大事そうに握る。死んだ花たち。

 あたしがもらったり買ったりした花のほうが、あたしが育てた花よりもずっと多いな、と香代は小学生の頃に育てたアサガオを思う。

 「晩ごはんはたこ焼きにしようね」そう言いながら、ひかるはもう花のことなど忘れている。関西から持ってきたたこ焼き器の形が、ひかるは好きなのだ。

 「お腹いっぱいやんな」披露宴の豪華な食事がまだまだ胃のなかに残っている。それに、あの華やかな雰囲気にあてられて正直疲れた。

 「よし、じゃあパパと作ろうな」和樹は香代を気遣ってか、ひかるを抱いたまま走りだす。

マーガレット

あとがき

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