消去法的なヨガインストラクター

ヨガ

 「では、頭を最後にしてゆっくりと起き上がってください。おつかれさまでした」

 ぱちぱちん。大勢の人がひしめき合うAスタジオの電気を点ける。まばゆい蛍光灯の群れが、念入りに磨かれた床に反射する。

 「ありがとうございましたあー」
 「おつかれさまです」
 「また来週」

 クラスの参加者たちがぞろぞろと部屋の外に出て行く。聡美はにっこりと上品な笑顔を浮かべて彼らを見送る。

 近ごろヨガのクラスの人気が上がっている。七年前にインストラクターの資格を取った聡美の仕事は急増していた。今日もこのあと、このスポーツジムの緑橋駅前店と岩田ポップモール店でそれぞれ一時間半のクラスを持つ予定になっている。

 「おつかれさまでした」スポーツジムのスタッフの女の子が聡美に声をかける。笑うと右の頬だけにえくぼが浮かぶ、かわいらしい子だ。新卒だろうか。

 今年43歳を迎えた聡美は、近ごろ若い女の子の年齢をうまく推し量ることができなくなってきている。

 「サトミ先生、このあとは緑橋でしたよね?」彼女がなおも会話を続ける。

 「そうですよ。少し時間があるのでどこかでランチついでにパソコン作業でもするつもりです」講師ではあるものの、聡美はあくまでも雇われの身だ。同じ雇用主を持つものとして、彼女との距離感はどこが正しいのだろうか。

 「あの、もしよろしければなんですけれど」彼女が少し声を落として聡美の両目を捉える。

 「お昼、ご一緒しちゃだめですか? あたし、サトミ先生に憧れてて。今からお昼休憩なんです」と彼女は緊張感をにじませて言う。

 またか、と正直なところ聡美は思った。聡美はヨガインストラクターとしてジムや関西圏のイベントで講師を勤めるかたわら、ローフードマイスターの資格を持ち、ナチュラルメイクの美魔女として大手健康食品会社の美容ライターも務めている。関西ではそこそこ名も売れており、その体型と価値観に憧れる女性は少なくない。食っていくためにヨガのレッスンをこなしているうちに、嫌でもこうなってしまったのだ、とは口に出さない。

 「もちろん」にっこりと白い歯を見せながら、聡美は明日の朝に締め切りを控えた三千字の原稿を思う。

 「うそ、嬉しい。たくさんお話伺いたいんです」すぐに着替えて来ますね、と彼女は更衣室に走っていった。

 彼女の名前はなんだったけな。そう思いながら、聡美はジムの入り口に掲載されているスタッフと講師の顔写真を確認する。それぞれにあだ名と本名が添えられている。

 サトミ(隅野聡美)。優美な笑顔で微笑む自分の写真に自然に目が行く。最近しわが増えたかも。三年前に撮影した写真を見て、聡美は思わず頬をさする。
 そのまま視線を斜め右下へ滑らせていく。なるなる(交瀬成実)。いた、この子だ。いかにも女磨きが好きそうな、少し派手な顔つきをしている。いったい何が彼女をスポーツジムに就職させたのだろう。

 「先生、お待たせしました」国民的人気を誇るネズミ柄が胸に大きくプリントされたTシャツにジーパンというシンプルな出で立ちで彼女が登場する。

 「交瀬さん、私服だと高校生くらいに見えるね」聡美は早速覚えたての彼女の名前を口にした。

 「サトミ先生、それ褒めてます?」交瀬成実が人懐っこい笑顔を向ける。

 「ねえ、先生ってやっぱり基本的に毎日ローフードなんですよね? ブログ見てて、ココナッツオイルのお菓子とか真似してるんです。まあ普通にショートケーキとかプリンとかも大好きなんですけど。てゆうかこの近く、ローフードのお店とか多分ないですよね。どうしよう」と成実がまくしたてる。

 「大丈夫。交瀬さんのおすすめのところにしましょう」

 「え、あたしが行くの、ラーメン屋かうどん屋かカレー屋なんですよ。カレー屋は双子の姉が働いているのでよく行くんです。どれもローフードとは程遠い。先生に憧れてるなんてどの口が言うんだって感じですよね」成実がえへへ、と照れた笑いを向ける。

 「いいのいいの、ラーメン屋さんにしましょう。お互いあまり時間もないだろうし」ちょうどお昼はラーメンを食べようと思っていたのだ。

 「なんかすみません。サトミ先生、絶対にラーメンなんて好きじゃないですよね」

 「いいのよ、健康的な生活ってずっとやってると疲れちゃうから」聡美はそれらしい台詞を吐いてみせる。

 本当は、ラーメンもショートケーキも焼き肉も大好きなのだ。証券会社でOLをしていた頃は、つまらない仕事の唯一の楽しみがランチでおいしいお店を見つけることだった。でも、もう聡美にそんな自由は残されていなかった。

 それなりにいろいろあって会社を辞め、ヨガのインストラクターの資格をとった後、聡美はヨガの講師と美容の仕事を始めた。もともと健康的な生活が好きだったし、会社員でいるとなかなかそういう生活が実践できなかったのだ。

 そして、今は健康的な食生活、運動生活、睡眠生活を実践するロールモデルとして仕事をしている。選択の余地なく。それはそれで窮屈に感じてしまうというのは、きっとわがままなのだろう。聡美には、もう会社員に戻る市場価値もなければ、その心意気もない。

 生きるって面倒だなあ、と聡美はいつものように思う。そういえば前の彼氏と別れたのもそんな理由だったような気がする。

 「サトミ先生」交瀬成実がラーメン屋の食券機に並んでいる時に話しかけてくる。

 「あたしね、体とか絞って、引き締まった体をキープしたいって思ってスポーツジムに就職したんです。双子の姉も、大学に入って運動しなくなってから太ったって言ってたし。でも、それは早とちりでした。スポーツジムのスタッフって、全然運動できないんだもん。辞めちゃおっかなあ」と周りを伺いながら言った。

 「インストラクターなら、嫌でも動かなくちゃいけないですよ」

 「ですよね」交瀬成実はその言葉を待っていたかのように顔を輝かせた。

 「あたし、サトミ先生みたいなヨガのインストラクターになろうと思って。家帰ってからヨガしようと思うんです。変な話ですよね、スポーツジムのスタッフが家で体動かすなんて」

 「変じゃないですよ」聡美は言った。「企業のサービスって、それを作り出している側から見ると、本当に外から見るのと全然違うもの」

 「そっか、サトミ先生、昔会社員だったんですもんね」聡美は、ブログに会社員時代の経験を書き綴っていた。少し大げさな悲壮感をまとわせて。人は逆境を乗り越えたストーリーに惹かれる。サトミ先生ではない本当の聡美は、OLという立場にそこまで絶望していたわけでも、ヨガにそこまで希望を見出していたわけでもなかった。どこにいても何をしていても、無感動で冷めた性格だった。

 二人のあいだに気まずい沈黙がおりる。

 「あ、そうだ」空気を読んで懸命に絞り出した交瀬成実の声は不自然に大きく、ぽん、と風船が破裂したような緊張をその場に与えた。

 「サトミ先生、おすすめのヨガマットってないですか? あたし、初任給にまだ手つけてなくて。ヨガグッズを買いたいなって思ってたんです」

 「そうねえ。ヨガマットなんて、安いものでいいと思いますよ。足を痛めなくて、滑らなければいいんだから」ほら例えば、と聡美はスマホを交瀬成実に見せた。

 「これとか。黒しかないけれど、機能性を重視するならおすすめですよ。交瀬さんは若いから、かわいい色がいいならこれ」

 「え、めちゃ安いですね」

 「ヨガのいいところは、お金をかけずにどこでもできるってことだから。健康食品を毎日食べるよりもよっぽど経済的で体にいいんです」あ、これオフレコで、と聡美は口に人差し指を立てて笑った。いい調子。いつものヨガを信じる気持ちが戻ってきた。

 「なるほど。アプリコットオレンジかわいい! 買っちゃおうと」交瀬成実はためらいなくボタンを押し、購入を済ませた。

 「あたしは先生みたいに徹底はできないと思うけど、まあできる範囲で頑張りますね」目の前の幼い女性は、そう言ってラーメンをすすった。

 

あとがき

この物語を楽しんでいただけましたか?
ヨガは私もよくやります。体が凝っている時なんかはいいのですが、調子が悪い時ほどやりたくなくなるというジレンマ…笑
面白かった! ほっこりした! と思ってもらえたら、以下のリンクよりnoteを購入(100円)していただけると活動の励みになります(*^^*)
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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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