しいたけ農家の奥さまは料理初心者さん

「俺、何やってんだろ」肉厚のしいたけを一つひとつ手でもぎながら、陽介はため息をついた。じめじめとした薄暗い森の中で手を動かし、三ヶ月ほど前に所属する大学の農学部のゼミで言い渡された言葉を思い出していた。
「後期試験が終わり次第、ゼミ生には農家さんへインターンに行ってもらう。期間はそれぞれおおよそ二週間。これを機に、より農作物への理解を深めて研究に役立ててください」そう言って教授が配った紙には、玉ねぎやじゃがいも、イチゴやキャベツ、トマトなど様々な種類の農家のリストが並んでおり、その横には自動的に名前が割り振られていた。
「やったあ! あたしイチゴだ」同期の立花リナが黄色い声を上げた。
陽介の目はなおも配られた紙の上をなぞる。
「先生、俺の名前ないです」陽介は一抹の不安とともに教授の席へ向かった。
「え、裏に書いてあるでしょ」そう言って教授が裏返した紙には、「原木しいたけ 北山陽介」と、でかでかと書かれていた。
「しいたけって、あの暗い部屋の中で延々温度管理するやつ?」隣にいた空木ユウヤが半分馬鹿にしたような顔でのぞき込んできた。やつの担当は玉ねぎだった。
「うるせえよ、お前だって永沢君じゃねえか」陽介は日曜日午後六時の国民的番組に登場するタマネギ頭を思い出していた。
そして今、まだ手のかじかむ二月の終わり。陽介は薄暗い森の急斜面でしいたけを収穫していた。こんなに寒くて重労働なら、空木の言ったような温度管理のほうがましだったかもしれない、と思う。今頃暖かいビニールハウスでイチゴやトマトの面倒を見ているであろう女性陣を羨ましく思った。
陽介がインターンをしている原木しいたけは、クヌギの木にしいたけ菌を植菌し、ふた夏かけてしいたけを育てるのだ、と受け入れ先の農家の杉山恵多(すぎやまけいた)が言っていた。陽介にとってラッキーだったのは、この農家が若い夫婦だったことだった。
夫の方は、料理が趣味の日によく焼けた38歳で、奥さんの方はリャンという29歳のフィリピンの女性だった。なんでも杉山が26歳の時に海外出張をした際、当時17歳だったリャンと恋に落ち、杉山が帰国してからも三年間の遠距離恋愛をし、リャンの20歳の誕生日を待って日本に呼び寄せたのだそうだった。そのあいだに杉山は会社を辞め、原木しいたけ農家になったらしい。
「リャンは自然が好きだったんだ」杉山は夕食の席で酔っ払いながら陽介に語って聞かせた。
「リャンと結婚するなら、あんなホコリまみれの空気を吸いながら、回し車の中でぐるぐる回っているハムスターのようなサラリーマンはやめなくちゃならなかった。杉山恵多、一世一代の決断だったなあ」
それに、杉山は原木栽培にこだわっているようだった。
「菌床しいたけはな、楽だし安定している。あれが悪いとは言わない。でもな、やっぱ原木はうまいんだよ。体の続くうちは、こっちのやり方を続けたいと思ってな。でも今年はお前が来てくれてるんで、随分楽させてもらってるよ」そういって杉山は、陽介の肩に腕を回して笑った。杉山夫婦には、子どもがいなかった。
「おーい、陽介!」山の上の方から杉山が降りてくるのが見えた。陽介は慌てて止まっていた手を再開する。
「ちょっと休憩しようぜ。疲れたろ」そう言って杉山は、陽介を山の裏の方まで引っ張っていった。
「どうしたんですか、こんなところまで」
「しーっ」杉山は周囲を伺いながら口に人差し指を立てる。
「この時間ぐらいしか、リャンの目を気にせずにお前と話せないからな」
「何ですか、浮気でもしちゃったんですか。もしかして、借金とか。うわー、リャンさん悲しみますよ。故郷に帰っちゃうかも」陽介はわざと杉山をからかってみせる。ここへ来て十日。二人はずいぶん打ち解け合っていた。
「馬鹿言うんじゃない。俺はリャン一筋の、堅実なしいたけ農家だ。将来のこともちゃんと考えている」
確かに、杉山はやり手だった。原木が少なくなって生産者が減り、スーパーに出回るしいたけも菌床のものが多い中で、杉山は自分と数人の生産者のしいたけをブランド化し、高級料亭にも卸していた。
そして最近では、隣の市の有機栽培玉ねぎ農家と協力し、「しいたまドレッシング」なるものを販売していた。このドレッシングは地元大分のスーパーで人気を博し、実際に陽介もサラダとステーキにかけて食べたのだが、正直かなりおいしかった。そのように杉山(とリャン)は新しいしいたけの食べ方を考案し、発信していた。
「わかってますよ。で、どうしたんですか。リャンさんにできない相談なんて」
「実はだな」杉山の顔が赤くなる。
「来週、リャンの誕生日なんだよ。30歳なんてめでたくないから祝わなくていいって言うんだけど、そういうわけにもいかないじゃないか。でもな、リャンは服や宝飾品にからっきし興味を示さないんだ。欲しいものを聞いても全然答えてくれないし。俺、今までの誕生日は全部料理だけだったんだぜ。俺の手料理」
「普通は逆ですけどね」
「リャンは料理が恐ろしく下手なんだよ。うまくなりたいらしいんだが、俺が好きでやっちゃうから」
「そうですか。で、誕生日プレゼントを一緒に考えて欲しいと」陽介は杉山の言葉を先読みして口にした。
「そういうことなんだ。頼む、俺年上だし、若い女性の好みがわからなくて」
「僕にとっては8つも上ですけどね」
それから実に小一時間もの間、男たちは湿った木の間で問答を繰り広げた。杉山は、アクセサリーはだめだの、花は枯れるからあげ甲斐がないだの、風呂でリラックスなんてしなくてもあいつはすぐ寝るだの、とにかく文句を並べ立てた。
「あのねえ」陽介はうんざりし始めていた。「じゃあ予算で決めましょう。いくらくらいを考えてますか?」
「そうだなあ、節目の歳だし、十万で」杉山は喜々として言った。
「はあ?」俺の三ヶ月分のバイト代っすよ、と陽介は口をあんぐりさせた。
「だって俺ら子どもいないし、今までの誕生日プレゼントだと思えばそのくらい」杉山は二重の目をぱちくりさせた。
「よし、わかりました」陽介は頭のなかで豆電球が点灯する音を聞いた。
「料理初心者さんへのキッチングッズセットにしましょう」
「はあ?」今度は杉山が口をあける番だった。
「だからあいつは料理が苦手だし、俺のほうが料理は上手いし好きだから、料理は俺の担当なの。その方が効率いいでしょってリャンも言うから」
「でも」と陽介は食い下がった。
「でもリャンさんは毎年杉山さんの料理をリクエストしていたし、料理がうまくなりたいとも思っているんでしょう?」
「まあどこまで本気で言っているのかはわからないが」
「じゃあ、今度の誕生日は、リャンさんにそのキッチングッズを使ってもらって、杉山さんが料理を教えてあげればいい」陽介はこの案には自信があった。農学部の料理科とも言われる今のゼミで、採れたての野菜で調理を繰り返しているうちに、誰かと一緒に料理をするという行為には愛情を増幅させる効果があると確信していた。
「大抵のものは揃っているでしょうから、今回は料理初心者が使えそうなものに焦点を当てるということで」
「よし、わかった」杉山は早速、しいたけのレシピをぶつぶつ呟きだした。
「だめですよ。それもリャンさんと考えてください。たぶん十万円もかかりませんよ。来週には僕というおじゃま虫もいなくなりますから、楽しんでください」そういった瞬間、陽介の胸をちくりと刺すものがあった。そうか、俺あと三日で帰るのか。
「寂しいこと言うなよ。また遊びに来いって。じゃあ今晩リャンが風呂に入ってる時に、一緒に選んでくれよな」
「もちろん」
そう言って二人は、再び作業に戻っていった。
【その晩、陽介の指示通りに杉山が購入したもの】
陽介「焦げ付かないフライパンは必須ですね」
陽介「鶏肉はふたがないとうまく火が通りませんから」
杉山「これ、いま流行りのやつだ! 俺が使う」
陽介「レンジで調理できるものです。暑くなるこれからの時期にいいですよ」
陽介「これを機にぜひお菓子作りも」
杉山「俺これ使うー」
あとがき
この物語を楽しんでいただけましたか?
最近は料理のできる男性も増えましたね。
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※内容は同じです
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
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みひろさん独特の世界観が心地よいです。
安福さん
コメントありがとうございます。(記念すべき初コメント!)
お言葉、とてもうれしく頂戴しました。
これからも安福さんの心にお話を届けていけたらな、と思います。