父と智也さんと父の日

トロントの教会

 「せりちゃん、今日は大学ないの?」智也さんが芹奈の部屋をノックした。おかげで芹奈は午前九時という、大学生にしてはあまりにも健全な時間に目覚めることになった。

 「ん、今日はお昼からやから」むっとした熱気が家中にこもっている。湿度と温度の総合点が一番高い六月の後半は、一年のうちでいちばん過ごしにくい季節かもしれない。芹奈はいつの間にかベッドの下に蹴り落としていたタオルケットを拾いながら思う。

 「父は?」芹奈は生物学的に言うところの父親の行方を気にした。

 「とっくに仕事行ったよ。せりちゃん、今日が木曜日だってわかってないでしょう」

 「そっか」芹奈はこのやり取りで目が醒めてしまい、のそのそと起きだした。

 芹奈には、父親が二人いる。一人は先ほど行方を気にした生物学的な父親である丸橋俊(まるはししゅん)で、芹奈はこちらの父親を「父(ちち)」と呼んでいた。そしてもう一人が、芹奈が三つの時からの実質的な育ての親である智也さんだ。父と智也さんは、父が東京勤務だった頃に出会い、そのまま一緒に住むことになった。
 もちろん芹奈には生物学的な母親もいたはずだし、父と智也さんのことを「普通」の人にわかってもらうには、話がひどく長くなる。芹奈はもうそんなふうに何度となく、父親が二人というところの言うなれば「異常性」についての弁解めいたものを繰り返してきたし、そんなものにはもううんざりしていた。それで近ごろは単に「両親がどちらも男」とだけ伝えるようにしている。不思議なことに、説明を最低限に絞るようになってから、相手の方からあれこれ聞いてくるようなことはなくなった。

 そして彼女は、そう言った現実的なややこしい問題を抜きにして、彼らのことを親として好いていた。異常だと言われようと、芹奈にとってはこのような両親のあり方しか知らないわけだから、どうしようもない。
 それに、共働きが当たり前で、性による役割分担のようなものが薄れ、男女平等が叫ばれるご時世において、智也さんは他の家庭の母親よりも「母親性」のようなものを多く持っているように芹奈は感じていた。

 「朝ごはん、トーストとサンドイッチどっちがいい? サンドイッチならお昼とかぶっちゃうけど」顔を洗って寝巻のままキッチンの方に行くと、沸かしたてのコーヒーのにおいがした。

 「え、サンドイッチ! 智也さんのサンドイッチ、絶品やもん。ああ、梅雨って悪いことばっかりちゃうなあ」

 「おおげさだって」智也は丁寧に耳をカットしたサンドイッチを四切れ、芹奈の前に置いてくれる。

 「智也さんって、ほんまに理想のお嫁さんって感じやんなあ。うち、智也さん見てると自分が将来ちゃんとお嫁さんになれるんか、心配なるもん」芹奈はマヨネーズのたっぷり入ったたまごサンドを咀嚼しながら、目の前でスーパーのチラシをにらむ智也さんに言った。

 「なれるに決まってるじゃん。こんなにいい子なんだから。僕のことも受け入れてくれてるんだし」智也さんは例のごとく、こちらがこそばゆくなるような優しい目をして言う。

 「そういえばさ」芹奈は話題を変えたくなって慌てて残りのパンをコーヒーで流し込んだ。

 「もうすぐ父の日やんか。何ほしい?」

 「僕は何もいらないよ。今の生活で十分。俊さんに二人でなにかあげようよ」

 「またそうやって仏みたいなこと言うやろ。うち高校が仏教やったから、釈迦のこととか詳しいねんで。ほんでな、人間は悟りなんて開かれへんってことを悟ってん」芹奈は鼻を膨らませて智也さんを指差した。

 「あ、それとも」芹奈は少し声を落として真面目な顔で言ってみる。

 「一ヶ月前の母の日にあげんかったから、怒ってる感じ?」

 ぶっ、と智也さんが吹き出したのを見て、芹奈は大げさに胸をなで下ろしてみせた。

 「じゃあ、ブックカバーがいい」智也さんはさほど逡巡した様子も見せずに言った。

 「あー、確かに智也さん、ずっと前に本屋で付けてもらった紙のブックカバー、ボッロボロなるまで使ってるもんなあ。本屋でつけてもらったらいいのに」

 「環境に悪いじゃないか。それに、本棚に並んでいる本は、すべからく表紙が見えているべきだと僕は思うんだよ」智也さんはおかしなところにこだわりのある人だった。

 「わかった。とびっきりいい、一生使えるブックカバーあげるわ」

 「あんまり高いのはだめだよ」智也さんはどこまでも気遣いのある人だった。スタイルが良くて綺麗で頭のいい誰かの母親よりも、芹奈にとって智也さんはずっと誇れる存在だった。

 「父のプレゼント、全然決められへんねん」芹奈はすでにいくつか挙げてある候補を智也さんに見せた。

 「父、あんまり服とか興味ないし、好きなモノといえばお酒やんかあ。けどお酒あげるのもなんか芸ないし、お酒グッズももうあるっちゃあるもんなあ。ほら、このビールサーバーなんか、絶対喜ぶとは思うんやけど、一日で飽きそうやん? あの人子どもやし。あと、ワインをきれいに収納するワインスタンドもかわいいやつあってんけど、こんなん買ったら絶対常にワイン六本常備しそうやん?」

 「そうだねえ」智也さんは、眉間にしわを寄せて真剣に悩みだした。

 「ごめんな、智也さん。うちの父やのに。智也さんの父親ではないのに」そう言って芹奈は、笑って携帯を置いた。智也さんは、自分の父親に何かをあげたりするのだろうか。芹奈は、彼の過去や身内のことをあまり知らなかった。そんなことは関係なく智也さんという人を見たいという気持ちがまず第一にあったし、あまり踏み込んだことはなんとなく聞けないままでいた。
 二十歳になったら、と芹奈は三ヶ月後の自分の誕生日を思った。二十歳になったら、勇気を出して聞いてみよう。今まで聞けなかったこと。

 「ね、俊さんには悪いんだけどさ」智也さんが悪いことを思いついた子どものような顔をして、近所の高級デパートのあるところにつけた丸印を見せてきた。それは片働きの丸橋家の食卓にはめったにのぼることのない、国産の高級うなぎだった。

 「みんなでうなぎ食べるっていうのはどう? ほら、お酒ばっかりだと身体に悪いし。ブックカバーもいらないし、僕も半分出すからさ」

 思えば、智也さんはいつも自分のことを後回しにしてきた人だった。それは自己犠牲などという陶酔に満ちたものではなく、今あるものに十分満たされた人のそれだった。おいしいものを食べる時も、楽しいことがある時も、決して独り占めはしなかった。

 「ありやな。じゃあ今年の父の日は三人でうなぎ食べよな。今月バイト代結構入ったし、智也さん払わんでいいよ」芹奈は口の右側を少しだけ上げて、智也の計画に乗ったことを示した。この人が悪い人なわけがない。好きだから、父親のような母親のようなこの人のことをもっと知りたくなるのだ。

 ブックカバーは内緒で買ってあげよう、と芹奈は心のなかで思った。

【芹奈が智也さんにあげることにした、イニシャル入りブックカバー】

【イニシャル入り TOLVE 本革 ブックカバー 日本製 】 文庫本サイズ (ワインレッド・A)

【父の日にうなぎというのも、結構ありみたいです】

ギフト うなぎグルメギフト 国産鰻(うなぎ)蒲焼 3枚セット

【検討したものの、今回は俊へのプレゼントにならなかったものたち】
《ビールサーバー》

グリーンハウス 家庭でビアホール気分を味わえる スタンド型ビールサーバー 冷たさキープ&冷却できる保冷剤付属 ブラック GH-BEERF-BK

《ワインスタンド》

AZmarket ワインスタンド ワインボトルホルダー ワインラック クラシックブロンズ 6本用

あとがき

この物語を楽しんでいただけましたか?
わたしは今日、父に「ひんやりする敷きパッド」的なやつをあげました。

面白かった! ほっこりした! と思ってもらえたら、以下のリンクよりnoteを購入(100円)していただけると活動の励みになります(*^^*)
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