オフィス送別会のすゝめ。〜白ワインに合う料理はこれだ〜

 「ではみなさん、北山陽介の退職を祝して、かんぱーい!」狭いオフィスに、近藤龍彦(こんどうたつひこ)の声が響き渡る。彼は陽介が二年間務めた輸入品商社の支社長だった。

 「かんぱーい!」同じ部署の同僚たちの声がそれに続き、ちん、とグラスが交わる上品な音が響く。

 北山陽介は今日、新卒から二年間勤めたこの会社を退職することになった。
 理由はひとつというわけではなかった。彼が他の仕事を経験してみたかったということ、サラリーマンという勤務形態が性に合わなかったこと、学生時代から付き合っているスロベニア人の恋人マーサとの将来を考えてのこと。最後の理由が特に大きかった。マーサの性格からして、将来はスロベニアに住みたがるに違いない。その時、単なるプー太郎で彼女の世話になるわけにはいかない。陽介はそれなりに年頃を迎えていた。

 今日は、そんな陽介の最後の出勤日だった。彼の勤めた東京支社には五つの部署があったが、マーケティング部に配属になったのは陽介だけだった。翌年にも新卒は入ってこず、結局陽介は後輩というものの存在を知らないままに会社を出ることになった。先輩にあたる同僚、上司たちに見送られるというのは、何だか奇妙な心地がした。

 「では、早速料理のほうを発表していっていただきたいと思います」陽介の二つ年上にあたる光月慎也(こうづきしんや)が、縦に長い筆箱をマイク代わりに仕切っている。

 近藤支社長の計らいで、今日は部署の全員が残業なし。変わったことが好きな近藤は、店を予約して普通に送別会を行うことを嫌がった。
 「会社でやろうぜ」と、彼は支社長だからこそ持てる権限を行使した。
 「商品の酒も飲み放題。食い物も食い放題」三週間前に彼が皆の前でこう告げた時、同僚たちの歓声で隣の部署から人が見に来たほどだった。

 「ただし」と近藤は指を立てた。「一人一品、料理を作ってこい。白ワインに合う料理だぞ。クラッカーとか、生ハムとか、明らかに手を抜いたことがわかるやつは、当日酒なしで給仕係をさせる」

 「はあー?」と一番最後まで抵抗していたのは、先日三十歳の誕生日を近藤に祝ってもらった加賀ミカであった。誤解のないように言い添えておくと、近藤は社員全員の誕生日にささやかなプレゼントをくれる。

 そういうわけで、今日はワインと、商品の乾物やチーズ、それぞれが持ち寄った料理が机に並んでいる。年度終わりで、皆の机も心なしかすっきりしていた。

 「じゃあまず最初のワインは、『レゼルヴ・ルデュック・シャルドネ』でござい! このワインに挑戦するのは、はい、スヨンさんと高野さん」光月が二人を前に呼んだ。

 「僕は、タラのフライです。さっき給湯室のオーブントースターであたためてきたばかりなので、お早めにどうぞ」スヨンが流暢な日本語で話した。

 「うおー、さっくさく。うめえなあ。スヨン、俺の嫁になれ」妻子のいる男性社員が声を上げた。

 「あたしは、シンプルにバターでソテーした鶏肉です。家のプランターで育ったバジルでジェノベーゼソースを作ってみました」陽介が入社した時に、ちょうど育休から復帰してきたために、何かと陽介と歩調の合った高野が料理を披露する。

 「出だしから高レベルな闘いです! 両者、一歩も譲りません!」準備の段階から、すでにワインを三杯も飲んでいる光月は、絶好調だ。

 「勝負じゃないってのに」
 いつの間にか、陽介の隣に支社長の近藤が座っていた。高級なのだろうが、決して嫌らしくないシンプルな紺のスーツに、ワンポイントで付けているポールスミスのシルバーのタイピンが映える。本当に品のある人というのは、じゃらじゃらとたくさんのものを身につけないのだ。

 「支社長、今日はほんとにありがとうございます。皆さんにもこんなに集まっていただいて、僕しあわせ者です」陽介は言いながら、近藤のグラスにワインを注ごうとした。

 「おお、ダメダメ。今日はお前が主役なんだから、とにかく楽しめ」近藤はひょい、とグラスを避け、代わりに陽介のグラスをワインで満たした。

 「お前、二年って短かったけど、なんかここで得られたもんはあったか?」
 突然、近藤が真面目な顔をして、優しい声で陽介に問うた。

 「もちろんです。皆さん本当に良い人たちばっかりで、右も左も分からない僕に」

 「そういう優等生の答えじゃなくて」近藤は困ったように笑った。
 「お前、就活の時もそうだったな。使えそうなやつだから採用したけど、俺はお前が変わることを期待してたんだ。そんで三ヶ月前の支社長面談で、お前が辞めたいって言った時、理由に納得したから俺は出したんだよ」

 陽介は、ふーっと鼻から息を吐いた。ワインの香りがしたけれど、正直言ってどのワインがどんな香りがするのか、陽介にはわかりかねた。
 「僕、こういうわりと大きな会社は合わないみたいです。前も言ったように。そりゃできることの規模は大きくなるし、いろんな経験もできる。でも、スピード感とか、決まりごととか、そういうのに踏み潰された貴重なものたちもあったと思います。ちゃんと一人ひとりの人間のことを見るとか、そういうことも。一人の人間と対極にあるのは、『組織』とか『システム』ってやつなんだって、この二年で学びました。そういうのが世界を牛耳ってるんだってことも」

 言い過ぎた、と陽介は思った。ワインをビールと同じペースで飲んでいたのがいけなかったのだろうか。

 「生意気な若僧だなあ。そんで、繊細なやつ」そう言って近藤は陽介の頭を親指でぐりぐりと押した。
 「俺がこの会社立ち上げた時も、同じこと思ってたよ」

 近藤は、学生時代にアメリカへ留学した時に出会った学生たちと一緒に、まだ学生のうちにこの輸入品会社を立ち上げた。自分の国の商品は、隣の国にとっては輸入品である。この当たり前の事実をもとに、彼らは自国の商品をうまくピックアップし、それを各国においた支社同士で交換しあうことによって商品の仕入れを行った。これによって、株式会社Port Of Worldは商談のコストがぐんと減り、大成功した。

 「ここも随分大きくなっちゃったもんなあ。お前は、俺とタイプが似ているよ。サラリーマンには向いてない」陽介を採用した張本人は、そう言って笑った。
 「で、このあとどうするかは決めてんの?」

 「フリーランスの翻訳家を目指そうと思っています。彼女が作家を目指していて、それを日本語に訳してやるって約束してて。もちろんそれだけじゃ食っていけないから、輸入品扱うサイトでも開こうかと思っています。ここでの経験を活かして」陽介はにやっと笑って近藤を仰ぎ見た。

 「ちゃっかりしてんなあ、お前」近藤は心底嬉しそうに言った。「じゃあまたちょくちょく遊びに来いよ。商品回してやるし、海外の俺の仲間、紹介してやるよ」

 「ありがたいです」陽介はそう言って、頭を深々と下げた。

 「続いてのワインは、『ラフルー・グラントゥー・レゼルヴ』です! 挑戦するのは、加賀さんと弓野チーフ」
 光月がまだ元気よく続けている。お前が抜けたらまた俺が一番下になる、と涙目で陽介を呑みに連れて行ってくれた、いい先輩だった。

 「おお、我が社の女子力男子として知られる弓野チーフはキッシュを焼いてきたようです! これはポイントが高い。対する加賀さんは、チーズです! 反則であるはずの、調理しないタイプのチーズを堂々と持ち出してきました! しかも弊社取り扱いの、チーズソース。これは度胸がある、と言えばいいのでしょうか?」

 「うるさい、光月。じゃがいも茹でてきたから、それに付けて食べなさい。最高なんだから」加賀ミカはそう言って、笑いながら光月の頭をばしっと叩いていた。

 明日からは、と陽介は思う。
 明日からは、この居心地の良い場所を離れて、俺は一人きりになるんだ。何時に起きてもよくて、いつ仕事をしてもよくて、会議をする必要もない。
 でも、もうこんなふうに守ってもらったり、誰かと一緒に働くことはできないんだ。

 陽介はグラスに残ったワインをぐっと飲み干した。

【送別会で出されたワイン。ちなみに飲み物も食べ物も全て近藤支社長のおごりだそうです】

ソムリエ厳選 白ワイン飲み比べ 6本セット 金賞受賞酒 フランス、チリ 白 750ml×6

【加賀ミカが使ったチーズソース。じゃがいも以外にも、マカロニ&チーズに、トーストに塗る、ハンバーグに乗せる、など用途はたくさんありそうです。好き嫌いが分かれるようですが、アメリカンな感じが好きなら是非】

ラグー チェダーチーズ 453g

【近藤支社長の付けていた、ポールスミスのタイピン。かっこいいですねえ。】

[ポールスミス] Paul Smith 正規品 日本製 タイバー 【ショップバッグ・保存箱付き】 シルバー タイピン ネクタイピン 正規品 (ストライプ)

あとがき

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※内容は同じです

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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