紫陽花とうんちくと中学二年生

紫陽花2

 「はあ、めんどくさいことになったなあ」
 六月十九日の水曜日、快晴。時刻は午前十一時を少し回ったところ。京都の三室戸寺駅のトイレの中で、アケミはため息をついた。あたし、あの子苦手やねんなあ。

 大学二年生になったアケミは、梅雨の晴れ間に恵まれた今日、従姉妹のマオを連れて京都観光に訪れていた。大学の授業をサボって。

 マオは今年中学二年になっているはずだったが、ちょうど十ヶ月くらい前から突然学校に行かなくなったそうだった。学校でいじめられたわけでもなく、ただ学校に行かない選択をしている、ということだった。「学校っていうシステムの無益さに気づいただけ。人生を無駄にしたくないからね」と本人は言っているらしい。
 かと言って、日がな一日家に引きこもっているわけでもなかった。母親と買い物に出掛けたり、近所の図書館で丸一日本を読んでいたり、老人のたまり場のような場所に顔を出してかわいがられたりしていた。そういうわけで、マオの母親(つまりはアケミの母親の妹だ)も対応に困っているらしかった。

 今日はそんなマオが、地元の三重から大阪にあるアケミの家に母親と一緒に遊びに来ていた。それがどういうわけか、アケミに子守りが回ってきてしまったのだ。普通の中学二年生の女の子の遊び相手をするなら、アケミも文句はない。歳の離れた弟がいるおかげで、歳下の子どもの相手をするのには慣れていた。けれど、マオはひと味違った。彼女はなんというか、偏屈な変わり者なのだ。頭は恐ろしくいいみたいだけれど、コミュニケーションが取りづらい。

 「あ、トイレ終わった? 行こっか」

 アケミは表情の乏しいマオに向かって、いつも以上ににっこりと笑顔を向けた。ここに来るまでに、すでに頬の筋肉が疲れ始めていた。

 「アケミちゃんは、紫陽花でよかったん」最後の疑問符を上げきれないマオの問いかけを問いかけと把握するまでに、少し時間がかかる。今日の行き先を決めるとき、マオが紫陽花を見たいと言ったのだ。

 「ん? よかったで。あたしも紫陽花ってわざわざ見に行ったことないし、結構楽しみかも」

 そうして二人は、無駄なおしゃべりをすることなく、あっさり寺に到着した。はたから見れば、歳の離れた姉妹といったところだろうか。あるいは、あまりにも言葉を交わさない二人は他人同士にさえ見えたかもしれない。

 平日にもかかわらず、寺にはそれなりに人が入っていた。おとなしそうなカップル、揃いの帽子をかぶった老夫婦、大仰なカメラをぶら下げた男性。

 「うわ、めっちゃ咲いてる!」
 期間限定で開いている銀色の鉄でできた小さな入口に足を踏み入れた瞬間、アケミは子どものような声を上げてしまった。

紫陽花1

 そこには、ピンク、赤、青、紫、白、そしてそれらの色が混じりあって明確に区別することのできない、いわば境界線をさまよう色が無数に存在していた。まだ優しさの残る六月の陽光を受け、花たちは規則正しく、あるいは自由な色をつけて咲いていた。
 ふと横を見ると、マオが少し前かがみになって紫陽花の花びらを熱心に見つめていた。まるでその小さな花びらひとつひとつの中に、誰かからの重要なメッセージを読み取ろうとするように。

 「なあ、知ってる?」アケミはこの日のために紫陽花のことをいろいろと調べてきていた。アケミだって、従姉妹のことが決して嫌いなわけではない。コミュニケーションを生むために、それなりに考えていたのだ。

 アケミの呼びかけに反応して、マオがそのまま顔だけを左に向けた。彼女の右の頬が紫陽花に軽く触れた。

 「紫陽花の花ってな、実は花じゃないねんて。がく、っていう部分らしいわ。ほんで、色もいろいろちゃうやん? これって、そういう品種ってわけじゃなくて、土が酸性かアルカリ性かで決まるねんて。あ、酸性とかまだ学校で習ってない? 要は土によって色が変わるってこと。あと、同じ株でも、部分によって土の成分をどれだけ吸うかが違うから、それで色が変わるんやってさ」アケミは昨日寝る前にスマホで調べて必死で覚えたうんちくを思い出しながら、用心深く話した。マオは頭がいいし、紫陽花も好きだし、話題選びとしては間違っていないだろう。

 「ふうん」マオはいかにも興味がなさそうに顔を紫陽花の方へ戻した。

紫陽花2

 あれ、とアケミは一瞬拍子抜けした。それでも構わず話を進める。

 「でな、花にはいろいろ花言葉もあるやろ? 紫陽花には色によっていろいろ花言葉があって」

 「そういうのってさ」突然、マオがうんざりとした顔でアケミの方を見た。
 「そういうのって、紫陽花に関係ないやん」

 「は? めっちゃ紫陽花のことやん」アケミは目の前の少女の意図することがつかみきれず、困惑した。

 「違う。これが花びらなんか、がくなんか、花言葉は何なんか、土壌で色がどう変わるんか。そんなんこの紫陽花には関係ないやん」この、という時に、マオは目の前の紫陽花を指差した。それは青に近い、神秘的な紫色をしていた。いや、先のほうが少しだけ色あせて、中途半端に漂白された洗濯もののようだった。

 「なんでそうやって何もかもカテゴリーに分けるん。花の種類とか、その仕組みとか、なんで分類して、都合よく分かったふりするん」
 そう言ってマオは、静かに涙を流し始めた。

 まじか、とアケミは思った。こんなん、もうどうしたらいいねん。だから嫌やってん。

 「わかった、もう余計な話するのやめるわ」アケミはそっとマオの肩に手を置き、先へ促した。
 「ほら、今日はせっかく久しぶりに晴れてんから、泣くのやめよ?」

 「紫陽花は、雨のほうがきれいなのに」マオはなおも、俯いている。

 あたしが中学二年の時って、もっと素直やったけどな、とアケミは無言のまま思った。
 もっと素直で、もっと単純で、何かを疑うことなんてなくて、道は誰かが決めてくれてて、あたしはお弁当のことと友達といかにうまくやっていくかだけ考えてればよかった。たぶんマオは、そういうのがうまくできないのだろう。

 その時、アケミはひとつの答えのようなものに行き着いた。そうか、と。

 この子は分類されたり、分析されたり、わかったふりをされたりするのが嫌だったんだ。誰もマオ自身のことを見ないままに、都合よく解釈されてしまうことが。彼女の心の深いところから発せられる声に、誰も聞く耳を持たないことが。
 そう思った瞬間、アケミは今まで苦手意識を感じていた歳下の従姉妹をひどく愛おしく感じた。彼女が早く大学生になればいい、とアケミは思った。大学生は、もっと自由だから。

 「うわ、ハートや!」アケミの思考は、そこでぷつんと途切れた。アケミとマオの目の前で、ハート型に咲いた赤紫色の紫陽花が鮮やかな緑の背景に映えていた。よく見ると、あちらこちらに様々な色でハートの紫陽花は咲いていた。

 「え、これなんでハートなんかな。めっちゃかわいいやん。調べてみよっか」そう言ってアケミは、肩に掛けた水色の鞄からスマホを取り出した。

紫陽花ハート

 「調べなくていい」突如、マオが強い口調でそう言った。

 「調べなくて、いい」そして次はしゅんとしぼんだ声で、繰り返した。

 「そやな」じっとマオを見つめたあと、アケミはにかっと歯を見せて笑った。

 「別に調べんでいいことも、あるよな。なんでハートなんやろなあって、いろいろ想像すんのも悪くないよな」
 すると、マオの目が大きく見開かれて、その視線が恥ずかしそうにアケミの鞄のほうへ移った。

 「アケミちゃん、そのスマホケース邪魔じゃないん?」アケミのスマホを包み込んでいる大きなトトロを見て、マオが言った。

 「いいやろこれ、かわいいやろ」アケミはスマホを裏返し、そのトトロを見せた。

 「私のやつのほうがかわいいもん。ほら見て」そう言って自分のスマホを裏返したマオの顔の前には、白い紫陽花柄のスマホケースがあった。

 「紫陽花やん。そんな好きやったん?」アケミは半ば驚いて言った。

 「うん。大好き。夏も、秋も、冬も、ずっとこのケース」マオは心底得意げな顔をしていた。

 「アケミちゃんも、買えば? そのトトロ、大学生にしてはちょっと子どもっぽいやん。アケミちゃんiPhone6やんな。私は6プラスやけど、たぶん、6用のもあったと思うで」

 「うるさいなあ。あんた中二でiPhoneの最新型なんて、生意気やあ」アケミはそう言って、マオの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 けらけらけら、と楽しそうに笑う従姉妹の顔を見て、アケミはうまく説明できないけれど、なんだかくすぐったいような気持ちになった。

【マオの持っているiPhone6 Plusのスマホケース】

iPhone6s Plus 5.5インチ スマホ カバー ケース アイフォン アジサイ 緑 グリーン

【アケミに勧めた、iPhone6用のケース。お揃いの紫陽花柄です。アケミはこのあと買ったんですかね?】

iPhone6 4.7インチ スマホ カバー ケース アイフォン アジサイ 緑 グリーン

【現在アケミのスマホを包み込んでいる、特大トトロ。大のお気に入りなのだけれど、両手で持たないと触れないのが難点】

iPhone6 トトロ iPhone6 4.7対応 ケース シリコンケース となりのトトロ ケース iPhone6 4.7対応 ケース カバー ケース (iphone6 4.7, グレー)

あとがき

この物語を楽しんでいただけましたか?
先日、父と一緒に京都の三室戸寺に紫陽花を見に行った時の写真です。
ハートの紫陽花の秘密は、実はちいさな花房が三つ集まっているそうです!(隣を歩いていたおじさん情報)

面白かった! ほっこりした! と思ってもらえたら、以下のリンクよりnoteを購入(100円)していただけると活動の励みになります(*^^*)
※内容は同じです

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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