奥さまはオーガニックがお好き

オーガニック

オーガニック(有機栽培)の商品はお好きですか?
オーガニックは、地球環境にも健康にもいいということで、健康志向の高い人からは注目されています。

我が家はコスト面から、オーガニック食品を常用しているわけではありません。
でも、調味料にこだわったり、お水にこだわったり、できるところから工夫しています。

「健康」に対する考え方は人それぞれ。
肉体の健康、精神の健康、魂の健康。

なにごともバランスだと感じる日々です。

今回のお話は、あることをきっかけにオーガニックに目覚めた主婦のお話です。

本編

 「暑いなあ」
 近藤龍彦(こんどうたつひこ)は自宅のドアに手をかけながら、思わずそうつぶやいていた。

 朝夕の涼しさがうそのように、十月初旬の午後一時は彼のカッターシャツを汗でじっとりと濡らしていた。クールビスの期間が終わるこの時期は、秋の支度をすでに始めた体をネクタイが締め付ける。社長というと自由な服装をしているように周りには思われるが、実際は商談のためにほとんど毎日スーツに身を固めなくてはならない。

 がちゃん。

 「あれ?」

 鍵を開けたはずの扉が、龍彦の手を拒んだ。もう一度鍵を回すと、今度こそ扉が開く。今日のこの時間、家に妻の実果子(みかこ)はいないはずだった。

 まさか。
 龍彦の脳裏に嫌な予感がよぎる。

 龍彦の住むマンションは都内でもかなり値の張るところで、当然セキュリティもしっかりしている。しかしそれが逆に、一部の狂気じみた空き巣犯の腕試しの場にもなっていた。先日も一階下の部屋に空き巣が入ったばかりだ。

 鞄の持ち手を握る手に、汗が滲む。もしまだ空き巣犯が中にいて、自分が扉を開けた音を聞いていたら。そう思うと、このまま引き返して管理人室に行ったほうがいいような気もした。

 けれど結局、龍彦は中に入ることにした。妻が出かける時に鍵をかけ忘れたのかもしれないし、管理人にわざわざ出向いてもらって何もなければバツが悪い。

 鍵を開けたときの音のことはひとまず忘れることにして、龍彦はそろりと扉を開けた。途端、懐かしい出汁のにおいが龍彦の鼻と胃を刺激する。それも、お袋の味などではなく、もう長く嗅いでいないインスタントのチープなにおいだ。その瞬間だけは、頭で考えていることがすべて飛んでしまったくらいだ。今さらながら、龍彦は自分が空腹であることを思い出す。

 そのままほとんど夢うつつでリビングの扉を開けると、その出汁のにおいがより強烈に龍彦の体に染み込んできた。ぐう、と腹が鳴る。

 「実果子」龍彦は、脳と胃に半分ずつ意識を留めながら言った。
 「今日は料理教室の日じゃなかったか?」

 「あらあなた。珍しいじゃない、こんな早くに」

 妻の実果子は、週に三回、近所のレストランを貸し切ってオーガニック食材を使った料理教室を開いていた。龍彦よりも十歳年下の彼女は、今年で四十歳になる。三十歳のときに子宮の病気にかかり、一生子どもを望めない体になった。
 それからは、徹底的に体に良い生活を心がけている。龍彦に強制することはないが、彼女の手料理を食べているうちに龍彦のほうも健康になっているのを感じていた。

 「今日は朝のうちに打ち合わせが終わったから。ここのところ、土日もあまり休めていなかったし」龍彦は無意識のうちに、自分の鞄を体の後ろに隠していた。

 「そうね。いくら体にいいものを食べていても、睡眠不足と過労には勝てないわよ」実果子は机の上の「それ」に目線を固定したまま、ふっと笑った。

 「今日はね、料理教室お休みさせてもらったの。ほら、前話した生徒の小林さん。彼女、もう一人でも回せるようになったから」

 「そうか、体調でも悪いのか?」龍彦は妻の様子からなにかを感じ取ろうとした。でも、彼女の表情と口調からは何も読み取れなかった。それを龍彦は、自分が男だからなのだと思おうとした。

 「ある意味では」実果子は相変わらず穏やかに言った。
 「困ったな。あなたが帰ってくるなんて、思わなかったから。がっかりしたでしょう」

 実果子の目の前では、カップ麺の容器が湯気を立てていた。家中に広がる出汁のかおりは、これが原因だったのだ。
 整頓されたホワイトオーク材のテーブルの上には、塩気のないナッツの入った瓶、リーフ柄のメモ用紙、テッシュペーパー、二人で北欧に旅行したときの写真が入った写真立てが置かれていた。その中で、濃い緑で書かれた筆文字のパッケージをしたカップ麺は奇妙に馴染んでいるように見えた。

【断然、西派です】

 「いや、なんていうか、懐かしいな、と」龍彦は適切な言葉が見当たらず、口の中でもごもごと答えた。

 「ご、五分経っちゃったんじゃない? 伸びるよ」自分でもわけのわからないことを口走る。

 「私ね、お湯を淹れて十分くらい経ったのが好きなの」実果子は今では開き直っているようにも見えた。

 「こうやって、たまにこういうもの食べるのよ、私。龍彦さんよりも、不健康な生活してる」そう言って、実果子は目を細めた。何かをじっと見極めようとしているようにも見えたし、泣き出しそうにも見えた。

 「俺だって全然」「他にもあるの」今度は間違いなく涙が一滴、実果子の頬を伝った。

 「まずこれを食べるでしょう。それからね、冷凍庫にあるアイスクリームを一箱全部食べるの。それからコンビニに行って肉まんを食べるでしょ。最後は小さなシュークリームをぽいぽいって口に入れながら、帰ってくるの。手にはスナック菓子を抱えきれないくらい持ってね。で、あとはあなたのためにオーガニックの夕食を作るの。そういう日があるの。月に二回くらい。もう病気みたいなものよ。ね、知ってた? このおうどん、関西と関東で味が違うんだって。私は、関西のほうが好みだったな」
 実果子はぺりぺりと音を立てて、丁寧に容器のフタをめくっていった。

 「ごめんね。今日はお昼作ってないや。流しの下に、カップ麺ならいっぱいあるけど」

 「じ、じゃあ、俺もそれで」「だからなのかな」曖昧な龍彦の言葉は、またも実果子の言葉にかき消された。

 「こんなことしてるから私、子ども産めなくなっちゃったのかな。これはなにかの罰? でもね、いつもこんなことしてるわけじゃないの。月に二回だけよ? 小林さんなんて、オーガニックの料理教室通ってるのに、晩御飯はほとんど外食なんだって。そのほうが自分も楽だし、旦那も子どもも喜ぶからって。私のほうがずっと健康的な生活してるわよ。なんで私だけ……」

 二人のあいだに、沈黙が降りた。ほんとうに俺はだめな人間だな、と龍彦は思った。何が社長だ。何が輸入の壁を超えた異文化交流だ。
 俺は妻の気持ちひとつわからずに、一人きりにして、自分のことだけに精一杯で、こんなときにさえ気の利いた台詞ひとこと言ってやれない。

 「あー腹減った!」龍彦はわざと大きな声で言った。そして、にかっと笑った。そうすることが適切かどうかなんてわからなかったけれど、そうするしかなかった。

 「な、実果子。その麺がぶよぶよになったやつ、俺にくれよ。俺、関西バージョンのやつ食べたことないんだ。で、お前の分と、俺の分をもう一回、作ってくれ。あと、これも」
 龍彦はそう言って、鞄の中から淡い青のビニールにくるまれたものを取り出した。

 「これ、あなたの会社の商品じゃない」実果子はもう泣き止んでいた。頬に残った涙の跡だけが、彼女の心の傷を目に見える形にしていた。

 「そ。お前がいつも体に悪いーっつってからかってる、海外の添加物たっぷりのやつだ」そう言いながら、龍彦はチーズソースの挟まったクラッカーや、袋を開けてそのまま食べられる冷製パスタの包みを机に並べていった。

【チーズ味のクラッカー】

【よく買います】

 「俺はな、実果子」龍彦は得意顔で言った。
 「お前の料理のおかげで、健康になった。会社の健康診断にも、ひっかからなくなった。でもな、」実果子の前から奪った麺を、ずずず、っと大げさにすすった。

 「あちっ。でもな、昼飯とか、夜遅くなるときなんかは、こんなの食べてんだ。ああ、実果子に怒られるなって思いながら、食っちまうんだ。うしろめたいんだ。でも、今日という日のおかげで、俺たちは共犯者だな。ししし」

 どんなふうに妻に優しくすればいいかなんて、わからない。なにを愛の証拠に示せばいいかなんて、わからない。でも俺は、こんなふうにならできる。こうして、実果子と同じことを、一緒にしてやるくらいはできる。

 「あとこれ、電子レンジで三分チンするだけでラザニアができるんだぜ。便利だよなあ。ま、体には悪いけど、今日はいいか」

【お湯で戻すタイプのラザニアはこちら】

 「あなた、うちには電子レンジがないの、忘れたの?」実果子がため息混じりに笑って言う。
 よかった、と龍彦は思う。よかった。いつもの実果子だ。

 「いいこと思いついた」龍彦は口に麺を含んだまま言った。
 「今からコンビニ行ってさ、肉まんとシュークリームを買おう。そのついでに、これも温めてもらえばいい。どうだ?」

 「ばかじゃないの」実果子が今度は歯を見せて笑った。
 「電子レンジ、買ってもいいよ。もう子どもも産まないしね。けど、買うならとびきり性能の良いやつ買ってよね」

【ヘルシオ最高です】

 「任せとけ。じゃあ、これから毎週木曜日は、レトルト食品デーだな。なあ、早くお湯沸かしてくれよ。もう一つ食べるんだから」

 龍彦はそれだけ言って、下を向いた。ぽたっ、と今度は彼の顔からしずくが落ちる。ほとんど同時に実果子が席を立って湯を沸かしに行った。
 うどんが塩辛くなっちゃうかな、と彼は思った。でも、せっかく実果子が泣き止んだのに、もう涙を流させたくはなかった。

物語に登場したアイテム

【日清 どん兵衛きつねうどん(西) 95g×12個】
ときどきむしょうに食べたくなります。

【日清 どん兵衛 きつねうどん(東) 96g×12個】
ちなみに東のは食べたことないです。こわい。

【S&B 予約でいっぱいの店のパスタソース 4種(ボロネーゼ、アラビアータ、カルボナーラ、海老のバジルクリーム)】
テンションが上がって買いすぎた経験があります。

【青の洞窟 ラザニア・エミリアーナ 564g×5個】

【シャープ ウォーターオーブン ヘルシオ 2段調理タイプ 30L レッド系】
我が家もヘルシオ。何と言っても、ヘルシオ。(回し者ではありません。笑)

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2 thoughts on “奥さまはオーガニックがお好き

  1. 安福健也 より:

    龍彦さんのオーガニックな自然素材の優しさに触れることができました。ありがとうございました。

    1. mihirohizuki より:

      オーガニックな優しさ、とは素敵な表現(*^^*)不器用でも、優しさというのはちゃんと伝わるのですね。
      安福さんも、いつもありがとうございます。

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