休学して世界一周なんてしちゃってさ【第1話】

休学して世界一周なんてしちゃってさ

日本の大学生は、あまり勉強しない――。
たまにそう言われるのを耳にします。

確かに、特に文系の場合は、勉強のカリキュラムは比較的ゆるいものかもしれません。

その代わりに、アルバイトをしたり、サークル活動をしたり、インターンをしたり、留学を目指したりする。

大学生を見ていると、なんかすごく忙しそうだなとよく思います。

後輩の一人に、こんなことを言う子がいました。
「大学生のときは、とにかく手帳が予定で真っ黒じゃないと落ち着かなかった。充実した毎日を過ごしていなくちゃいけない気がして。働くようになれば、とにかく働くというそれだけで、人生において一定のノルマがこなせる気がするので、気が楽です」と。

この言葉にすごく共感した覚えがあります。

大学生活、すごく楽しかったけれど、どこか焦りのようなものがあったことも事実です。
とはいえ、今はのんびりとしすぎている気がしなくもないですが。

今回は、悠々自適な学生生活が、とあることからほころびを見せていくお話です。

本編

 「うう、さむっ」

 この秋最後の北風が、海史朗の肌を容赦なく突き刺す。
 いま海史朗のいるドイツでは、すでにほとんどの葉が散ってしまっていた。痩せて骨だけになったような樹々が、道路にずらりと整列していた。

 日本でもそろそろ葉が色づき始めるころだろうか。

 近ごろ、年々秋が縮まっている気がしてならない。だらしなく間延びした夏を払いのけると、そこにはもうすでに冬が居座っている。
 海史朗のなかで、秋の定義がどんどんと輪郭を失っていた。

 自然はその実りを着実に減らし、工場の絶え間ない稼働によって人々の胃は満足させられる。
 そして秋の実りを祝う祭りは、砂糖菓子を分け合う西洋の文化に取って代わられるのだ。

 今年のハロウィンは、このままドイツで過ごすことになりそうだな、と海史朗は手にしたスマートフォンのカレンダーを見ながら思う。日本をあとにしてから、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。

【地球の歩き方 A14 ドイツ 2016-2017】

 須藤海史朗(すどうかいしろう)は、大学四年の秋を迎えていた。ごく一般的な男子大学生の、これ以上ないくらい平均的な大学生活だった。

 これまでの人生で、海史朗は自分自身を特に秀でた人間だとか、特に変わった人間だと認識したことは、ほとんど皆無に等しかった。
 それを別段悪いことだとも思わなかった。

 けれど実際には、ほとんど中身のないままに重ねられたクレープのようなものだったのだ。
 それに気がついたのは、就職活動が始まってからだった。

 大学一年のころは、何もかもが新鮮だった。
 初めて手に入れた、底なしの自由。手付かずのキャンパスライフ。

 新歓時期に少しだけお酒を飲み、自然な流れで同じ学部の出席番号が近い人間と仲良くなった。授業をサボることも、ゴールデンウィークが明けたころに覚えてしまった。
 目についたこと、手に触れたことをとにかくぜんぶ試してみたかった。

 二年になると、今度は周りと違うことをしてみたくなった。テニスサークルの仲間は好きだったけれど、自分は彼らとは一線を画しているのだという「しるし」のようなものがほしくなった。
 どういうわけか、一年浪人して海史朗の後輩として入学してきた同い年の人間のほうが、ぐっと大人に見え、その事実は海史朗を焦らせた。

 海史朗は、大学の生協を通して夏休みにフィンランドへのホームステイを申し込んだ。ステイ先の夫婦は二人ともとても親切で愉快な人で、ほとんど英語の話せなかった海史朗もとても楽しんで帰ってきた。

 そして、二人はここで地に足の着いた生活を送っていて、自分は決まった生き方のようなものも持たないままにふらふらと生きているのだ、というわずかな気後れのようなものも海史朗の中に生じた。

 けれど、そんなわずかな心の染みも、日本に帰ってサークル仲間とばか騒ぎをしているうちに気にならなくなってしまった。
 彼らもまた、海史朗以上に生き方の方針を持たない人間たちだった。彼らといると、海史朗は心が落ち着くのだった。

 そして海史朗たちは三年になった。サークルの運営は二年のメンバーが受け持つようになり、三年生は手持ち無沙汰になった。
 海史朗は毎日昼近くまで眠り、家の近くのサンドイッチ店で週に三回アルバイトをしていた。

 あと二年も大学生活が残っているんだな、と彼は別段喜ぶわけでもなく考えた。なんか、思ったよりも消化試合的だよな、と。

 そうして毎日を惰性的に過ごしているうちに、秋が来て冬が来て、春が来た。

 大学生活の中で、海史朗は三人の女性と付き合った。
 最初はサークルの同級生。二ヶ月しか持たなかった。
 次は十も歳上の人。いま思えば、彼女がどうして海史朗なんかと付き合ったのか、さっぱりわからなかった。

 そして二週間前に別れた、香澄。
 香澄のことも、結局よくわからないままだった。

 気がついていなかったのは、あるいは海史朗だけではなかったのかもしれない。いつの間にか世界から取り残されてしまったように感じている人間は、ほかにもいるのかもしれない。

 海史朗の知らないうちに、同級生たちは就職活動を終え、学生生活最後の思い出づくりを始めていた。

 海史朗とて就職活動をしていなかったわけではない。
 けれどそれは、彼の想像以上に個人プレイだった。夏休みには中小企業もいくつか受けたけれど、納得のいくところから内定はもらえなかった。

 「俺、休学するわ。このまま流されて就職するのもどうかと思うし。てゆうか就活って、嘘ばっかじゃん。あんなふうに自分をよく見せて、それで運良く採用されたとして、これから何十年間もそこで働くのって耐えらんねぇよな。少なくとも俺は無理。俺はもっと自分らしく生きたい。世界を旅して、この目で見てくるわ」
 そう言った海史朗に、香澄は別れを告げた。

 就職できない男なんて頼りない、と海史朗を見限ったのだろうか。それとも海史朗という人間の浅さを本能で感じ取ったのだろうか。
 香澄は、何も言わずにそっと離れていった。

 「ちくしょー。カメラのバッテリー切れた」
 世界を一周するあいだ、日本ではあまり見られない光景を選んで、それをカメラに収めてブログにアップしていた。

 世界一周なら、文句ないだろう。
 この秋、夏休みを利用して海外に出ていった学生たちと入れ代わるように、海史朗は成田を発った。

 世界を一周して、ブログのひとつでもやって、それで三ヶ月くらいしたら、日本に帰ろう。
 今年こそ、海史朗はほかの学生とは一味ちがう人間になれるはずだった。面接できらりと光る人材に。

 ぶわり、と海史朗の背中を押すように風が吹いた。
 道の両脇に並ぶ背の高い木の枝が、海史朗をあざ笑うかのようにさらさらと音を立てる。

休学して世界一周なんてしちゃってさ

 スペインからだんだんと北上し、昨日はドイツに留学しているサークルの後輩を訪ねた。
 海史朗が一年前になんとなく諦めてしまった留学プログラムだった。

 彼と話すあいだ、ずっと気持ちが落ち着かなかった。ビールもソーセージも、なんだか美味しく感じられなかった。

 一年前の今ごろに同級生たちと、仲間の一人の家でドイツをコンセプトにした小さなパーティを開いたことを思い出していた。そのときに食べたソーセージ、飲んだビールのほうが、ずっと美味しかった。

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 今朝早くに後輩と別れた場所から、ヒッチハイクに応えてくれる車を探しながらずいぶん遠い場所まで歩いてきてしまった。もう手に持つボードを掲げるのさえ面倒だ。

 あのときは楽しかったのにな、と海史朗は異国の地をひとり歩きながらぼんやりと思い出していた。
 どうしてたった一年で、こんなに何もかも変わってしまうんだろう、と。

 今では、一緒にビールを飲んでいた同級生も、ここで留学している後輩も、二週間前まで恋人だった香澄も、みんな遠く思えた。

 ずっとこのままここにいたら。
 ありもしないことを想像し、ほんの少しだけ興奮を覚える。
 日本から遠く離れて、日本の法則の届かないところで暮らしていくことも、できるかもしれない。

 そのとき、海史朗のそばを黒い軽自動車が通り過ぎた。
 海外で軽自動車を見かけることは、ほとんどない。きっと日本から特別に持ち込まれたものだろう。
 いまの海史朗にとって、日本を感じるものに触れることはあまり心楽しいことではなかった。

 ドイツにいたって日本にいたって、いや、この地球上のどこであっても、それはひとつの「世界」なのだ。ドイツも日本もそこに含まれている。
 日本から逃げたって、その「世界」ってやつの法則から逃れられはしないのだ。

 瞬間的にそう思い至ると、海史朗はむしょうに腹が立った。自分自身に、どうしようもなく腹が立った。どうにもやりきれなかった。

 彼はその場に座り込んでしまった。

 それからどれくらい時間が経ったろう。時間にすれば、二分か三分くらいのものだったかもしれない。

 海史朗の前に、よく手入れされた焦げ茶色のブーツが一足並んだ。

 「あなた日本人でしょ? 具合悪いの?」

 顔を上げると、髪を短く切りそろえ、ちょうど紅葉した代々木公園の葉のような色のマフラーを巻いた女性が立っていた。
 年は三十前後くらいだろうか。

 「さっき車で通りかかったら、あなたしゃがみこんじゃうんだから」

 「あ、すみません」

 「よかったら乗ってく? 旦那と家に帰るとこなの。次の街まで、歩くと夜までかかるよ」そう言って女性が親指で指し示した方向には、先ほどの黒い軽自動車が停まっていた。

 彼女のさばさばとした話し方は、どこか日本人離れしているようにも思えた。

 「めずらしいね。今どきヒッチハイクって」

 「足がないので、助かります。ありがとうございます」
 海史朗は、素直に好意を受けることにした。

 「お互い様よ。あたしも十年くらい前にここでおんなじことしてたからさ。なんか懐かしくなっちゃって。よかったらちょっとうちに寄ってってよ。予定とかなかったらさ」

 「あ、お願いします」
 海史朗はほとんど迷いなく答えていた。

 「キミ、世界のどこかに本当の自分が転がってる、って思ってるクチでしょ。ふふ」
 女性はそう言って、小気味よく笑った。

 「うち、ソーセージ作ってるの。ビール飲めるでしょ? ああ、懐かしいわあ」

 少し向こうの方で、ドイツ人の男性が何かを言う声がした。おそらく彼女の夫だろう。

 こうなったら、思いっきり寄り道してやろう、と海史朗はバックパックを背負い直して思った。

 俺はまだ、大学生なんだから。

休学して世界一周なんてしちゃってさ

物語に登場したアイテムたち

【地球の歩き方 A14 ドイツ 2016-2017】
インターネットがなかったころは、これだけが旅の相棒だったそう。

【ドイツの輸入ビール6本 飲み比べギフトセット 『ヴァルシュタイナー、ベックス、ビットブルガーピルス、ケーニッヒ、ガッフェルケルシュ』】
初めてビールを美味しいと感じたのは、ニュージーランドでホームステイしたとき。
二度目がドイツのオクトーバーフェストでした。
1リットルのビールに、ノックアウトされました。

【ドイツコンクール 金賞受賞 手作り 無添加 ソーセージ 7点セット スモークハウス ファイン】
ビールと言えばソーセージ。
ソーセージと言えばビール。
間違いない。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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