とある浪人生と、占い師の人生相談

もうすぐ十二月。
年賀状やおせち料理の準備を始めるころでしょうか。

受験生のころ、よくこんなふうに思っていました。
こんなにも一大事で、全身全霊をかけて勉強しているのに、世間の人は受験のことなんて全然気にしていない。変な感じ。

受験勉強というのは孤独ですね。

でも、みんなが同じ方向を向いて同じ問題に取り組んでいたぶん、孤独ではなかったのかもしれない。
それに、受験勉強には「解答」という救済がありました。

今思えば、答えのない人生の問題に取り組む予行演習だったのかもしれません。
それとも、人生には本当は問題なんてちっともないのでしょうか。

今回は、煮詰まっている浪人生と怪しい占い師のお話です。

本編

 師走まであと十日を切った。

 夏海の通う予備校では、もうずっと前からセンター試験までのカウントダウンが始められている。一日ずつ減らされていくその数字は、それを目にする者を焦らせると同時に、彼らが一時的に解放されるまでの残り時間を示している。

 テレビは、夏海たち受験生のことなどその存在さえも知らないように、明暗さまざま、色とりどりのニュースを伝えている。

 「今年の秋は異常なまでの暖かさでしたが、明日の勤労感謝の日から一気にひと月ぶんほど寒さが厳しくなるでしょう」
 ニュースキャスターが何の感情も読み取れない顔でそう言っても、人間たちの暮らしは一気にひと月も早まらない。

 近ごろ、地震や台風、異常気象のニュースに慣れすぎてしまっている。それは我々の命を脅かしかねないのに、本当に命を脅かすまでは脅威とはならない。

 「お嬢さん、占いはいかが?」
 突然左側から声を掛けられ、夏海は「わっ」と声を上げてしまった。

 見ると、ずらりとシャッターが整列する薄暗い商店街の通りに、フードをかぶったいかにも怪しげな男が座っていた。

 駅から自宅へは、この商店街かラブホ街を通るしか選択肢はない。いつもは足早に通り過ぎてしまうのに、今日は返って来た模試のことを考えていたせいで歩みがのろくなったのだろうか。

 「いえ、大丈夫です」夏海はうつむき加減に、足を早めた。

 「模試の結果、よくなかったんだ」男がぼそりと呟く。

 「え」

 「占ってあげるよ。センター試験のこと」
 そう言ってごそごそと段ボールを探っている男に、夏海はいよいよ気味が悪くなった。それなのに、足はすっかり歩くことをやめてしまっていた。

 夏海は非日常的事件を求めていた。

 今年の三月、高校三年生の夏海は大学受験に失敗した。どうしても諦めきれずに挑んだ浪人生活は、想像以上に過酷で孤独だった。

 朝早くに予備校に行き、一日中机に座って去年と同じことをもう一度勉強した。アジサイも、溶けるような夏の日差しも、紅葉も、何もかも遠い世界の出来事だった。

 単調な繰り返しが延々と続き、同じ浪人生たちは不真面目に明け暮れていた。だらだらと群れるか、孤独か、選択肢はそのふたつだった。シャッター通りの暗い商店街かラブホ街の二択よりはいくらかましかもしれない。

 おまけに、部活を終えた現役生の追い上げが夏海の気持ちを追い込んでいた。きょうだいはおらず、両親は共働き。先に大学生になった友人にも、もちろん相談などできなかった。

 「いくらするの」夏海は思わず聞いていた。いや、聞いてほしいと思った。

 「そうだね。相談料は無料。でも、その後にセールスがある。買うかどうかは、もちろん君の自由」
 水晶もカードもない。サテン生地の紫色のベールの代わりに、だぼついたフードが男の頭に載せられていた。

 夏海はおそるおそる、背もたれのない安っぽいパイプ椅子に腰掛けた。手にはいつでも警察を呼べるようにスマートフォンを握っている。
 目の前で見る男は思ったよりも年老いていて、弱々しく見えた。

 「この写真を見て」男が一枚の写真を差し出してきた。

 「これを見て、どう思う?」

ポピーの花

 「どうって別に」夏海は男の真意を測りかねた。
 「赤い花がいくつか咲いてる。名前はわからない」

 「ほかには?」男はさらに促した。

 「うーん、背景がやけに暗い。どっか室内で、花にだけ光を当てて撮ったのかな。カメラマンの腕は良いんだと思う」

 「うん。ほかは?」

 「ねえ」夏海はこらえきれずに顔を上げた。男の顔は、まだよく見えない。
 「何が言いたいわけ。これがあたしの試験と、どう関係あるのよ」

 「例えば」男は静かに始めた。
 「花がいくつか咲いている。裏を返せば、まだつぼみの段階のものもたくさんある。長さもまちまちだし、早くに花が開くものもあれば、遅咲きの花もある。残念ながら、ずっと咲かない花だってある」

 「ちょっと、それが人の人生に似ているなんて、くさいこと言わないでよね。あたしは今年にかけてるんだから。とにかく国公立に行かなきゃダメなの」

 男の目が夏海を見た。目のまわりのたるんだ皮膚が、彼の年齢を物語っている。そこには、夏海が口を挟めないような特別な光があったように思えた。

 「名前はわからない。それは、君がこの花と真っ白な状態で出会えるということだ。そしてこれは、屋外で、月の光によって撮られたのかもしれない」

 「月の光はこんな当たり方しない」

 「そして」男は夏海の声が聞こえないでいるかのように続けた。
 「どう思う、という僕の問いかけに、君は事実だけを述べた。自分の目で見える事実だけを。そこには、反対側から見た景色も、君の感情も、一片も含まれてはいなかった。それはつまり、君にこの写真を撮ることはできない、ということだよ」

 「だから何」夏海はむっとして言った。
 「別に写真家になりたいわけじゃないし、そもそもこれのどこが占いなわけ」

 「君はきっとうまくいく」男の目が、にっこりと笑った。口元はマフラーに隠れてよく見えなかったが、夏海が最近見たどの目よりも優しかった。

 「そんなふうに、一直線に自分の目に見えるものだけを信じるというのは、時に役に立つ。特に、大学を卒業するくらいまでは」

 「さ、セールスの時間だ」数秒間の沈黙があったのち、男が再び口を開いた。
 男は隣に積んである段ボールの中から、いくつか箱を取り出していった。

 「そのカバン、テキストが泣いているよ」男は夏海が背負っていた、今は腹に抱えているベージュのナップサックを指差した。

 「テキスト、ノート類はぴしっと揃えられてなくちゃ。野球選手はバットを大切にする。受験生は本を大切にする」
 そう言って得意げに銀のダレスバッグを取り出す様子に、先ほどまでの陰気な占い師の面影はなかった。

【リヒトラブ ダレスバッグ A4 A660-26 シルバー】

 「はあ」言葉を見つけられない夏海をよそに、男はどんどんと商品を並べていく。

 「いい解答はいいシャープペンシルから。色は黒、白、青、赤とあるけれど、君は女の子だから赤がいいだろうね。あ、これは女性差別になっちゃうのかな」へへ、と男は困ったように笑った。

【ゼブラ シャープペン デルガードLx 0.5 P-MA86-R レッド】

 「これもおすすめだよ。デジタル耳栓。電車の中で単語を覚えたいときなんかにいいよ。それでいて、車内アナウンスはちゃんと聞こえるから安心だね。もっとも、こんなふうに現実から耳をふさいで、いい結果が待っているのかどうかはわからないけれど」

 「ちょっと、縁起の悪いこと言わないでよ」夏海はぷっと吹き出した。頬の筋肉がうまく上がらない。最後に笑ったのは、いつだったっけ。

【キングジム デジタル耳せん MM1000 ホワイト】

 「ね、おじさん、ここの文房具屋さんの人でしょ」夏海は男の背後で冷たく死んでいるシャッターを指差した。
 そこには「ハッピー文具、定休日:土日祝、10:00〜18:00」と消えかけた緑の文字で書かれていた。

 「思い出した。あたし、小さいときによく来てたの。中学に入ってからは、営業時間内に帰れないから行かなくなっちゃったけど」夏海は少し後ろめたい気持ちに襲われながら、言った。

 「ばれちゃったか」男はフードを取り、恥ずかしそうに顔をごしごしとこすった。

 「なんでこんなことしてるの?」すっかり警戒心を解いた夏海の声は、夜の商店街に不似合いに響いた。

 「いや、最近めっきり文房具が売れなくてね。時代の流れなんだろうね。占いでもして売ってみようかと思ったんだけど、君が初めて足を止めてくれたお客さん」

 「そりゃおじさん、こんなの怪しくて誰も来ないって」

 「やっぱりそうか……」

 「ちょっと、そんなにがっかりしないでよ。そうだおじさん、あたしが大学生になるまで踏ん張っててよ。ここでバイトする。ちょっとアイディアがあるの。バイト代は成功報酬ってことで」

 「え」今度は男のほうが返事に窮する格好になった。

 「ダレスバッグとシャーペン、ちょうだい。これ、受験のお守りにする。デジタル耳栓はいいや。あたし、電車の中は勉強しない主義なの。それに浪人生は貧乏なの」

 「あ、ああ。君、名前は知らないけど、ありがとう。なんだか希望が沸いてきたよ」千円札を二枚出した夏海の手に、男が握手をした。

 「感謝されるっていいものね。そういうの、浪人してると忘れちゃう。さっきの花の写真は、おじさんが撮ったの?」

 「これは売り物じゃないんだけど、よかったらあげるよ。ポピーっていうんだ。いい名前だろう」

 「そうね、悪くない。どうも」夏海は商品と写真を受け取った。

 「あ、そうだ」思い出したように男が付け加えた。
 「これ、屋外で、月の光で撮ったんだよ。月の光は、こういう当たり方もする」

 「それは知らなかったな。じゃ、あたしが大学生になったらさ、カメラ教えて。それがバイト代」

 「楽しみにしてるよ。気をつけて帰ってね。夜道は危ないから」

 「おじさんも気をつけてね。もう占いはやめなよ」
 ひらひら、と写真を振りながら、夏海は家へと足を向けた。

ポピーの花

物語に登場したアイテムたち

【リヒトラブ ダレスバッグ A4 A660-26 シルバー】
これの安物を使っていて、横断歩道でぶちまけてしまった経験があります。
入れすぎたのかな……

【ゼブラ シャープペン デルガードLx 0.5 P-MA86-R レッド】
受験生のころの楽しみは、「休憩時間のお菓子」と「気の利いた文房具」でした。

【キングジム デジタル耳せん MM1000 ホワイト】
ざわざわしたところが苦手です。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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