不満や文句を言うのに疲れちゃったら[小さなお話64]

「不満や文句を言うのは簡単だよ、もちろん」
柚月さんが眉を下げる。悲しそうなのか愛おしそうなのかわからない。

僕はすがるように彼女の目を見て、視線を逸らさずに彼女の手を握る。柚月さんはそれを拒むこともなく、
だからって握り返すでもなく、涼やかにやり過ごす。

「もし改善を求めないのなら」柚月さんはとても美しいのだ。
「もしただ現状をそのまま受け入れるのは癪だから、不満や文句を言うのだったら、それでもいいのかもしれない。聞いてくれる相手なり、聞かざるを得ない自分へのダメージと天秤にかけてでも、そうしてでもしがみつくべき現実なのかもしれない」

僕はどうしたらいいのだろう。柚月さんはいつも、うんと優しくて厳しい。

「もしそういうのに疲れちゃったり、そういうことしても全然気持ちが晴れないときはね」
そこで彼女はやっと僕の手を握り返してくれる。よかった、彼女は僕を愛しているのだ。

「どうしてなんだって怒りを、どうしてなんだろうって疑問に置き換えてみるの。つまり感想の純粋化ね。それでもって、その透明度や硬度をじっと眺めて、だいたい同じ高さに位置する楽しいものに変えてしまうの。例えばそれが茹でたブロッコリーなら、じっくり煮詰めたみかんのジャムにしちゃうのよ。私の言っていることはわかるわね?」

柚月さんは僕の目をのぞきこむ。柚月さんは茹でたブロッコリーを見るのも嫌なのだ。それを知っているのが僕だけであることに、僕は満足する。

「うんと長い、上向きの滑り台でもいいかもね。山登りがとっても楽ちんになるから」

そう言ってしまうと柚月さんは満足そうに僕のひざ掛けの下に横たわり、肩までもぐって目を閉じて眠り始めた。柚月さんの手はとても小さくて、この上なく素敵なのだ。

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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