朝露のついた葉っぱを食むかまきり[小さなお話67]

「あなたの店にうちのお米は売れないの。ごめんね」

大手飲食店との商談中、岡田は取引先候補の女にそう言った。
隣で聞いていた僕は岡田の先輩として、また大切な商談に臨む身として、当然岡田を叱り、相手の女に土下座でもするべきところだった。

女もそれを期待して、もう一生消えることはないだろう眉間のしわをさらに深くして僕をにらむ。
でも僕はなにも言わない。岡田のこういう発言は、見ていて気持ちがいい。胸がすくのだ。

「美味しいものは美しいから」岡田は続ける。迷いがない。
「だからこのお米を売る私たちは、美しいものを扱う覚悟を持って、自らも美しくないといけないの」

「ねえ、言ってもいい?」目の前の女が笑う。人によっては華麗に、とか優美に、とか形容しそうな笑顔だ。

「とても客観的な立場から言って」女はごくわずかに首を傾ける。「あなたよりも私の方が美しいんじゃないかしら。ねえ」そして当然の流れで僕に顔を向ける。
僕はにこりと愛想を返す。僕は大人だからだ。

「朝露のついた葉っぱを食むかまきり」岡田はそれだけ言う。それで伝わると、本気で思っているのだ。

「そういう美しさのことを、僕らは言っているんですよ」僕はだから、彼女の言葉を継ぐ。

帰り道、岡田は心配そうにつぶやく。「私たち、クビかなあ」

「君はクビにならない。僕がそうしないからだ。そして僕は、社長である僕をクビにできない」僕は答えながら、道中にかぐわしい香りをぶちまけるイタリア料理店を指差す。

「でも倒産するかもね」岡田がわざとらしく口をへの字に曲げる。「でもあの人、変なにおいがしたんだもの。うん、いいにおい」
そう言って僕より先に店に入ってしまった彼女を、僕は慌てて追いかける。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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