生きる意味を考えることと、生きる意味を求めること。

0時。

まだ人の気配が残る薄暗いオフィスで、僕はパソコンの右上に表示されるデジタル時計を見つめていた。
今日も、「今日中」に家に帰ることができなかった。

残業と呼ぶにはあまりに長い「アフターワーク」は、僕の体重と髪をあからさまに奪ってゆく。

そうでなくてもこの業界は勤務時間が長いのだ。
外でペコペコしながら歩きまわっている俺に比べたら楽なもんだよ、とこないだの同窓会で樋口が言っていたっけな。

彼は、15時間ぶっ続けでパソコンの前に座ったことがあるのだろうか。
それも週6回。

あいつは今頃きっと、生まれたばかりの娘(りあちゃんだか、りむちゃんだか、忘れてしまった)の隣でヒーローにでもなった夢を見ている頃だろう。

ぱたり。
誰かがパソコンを閉じる音がする。

そろそろ僕も上がろう。
「終わり」という概念が存在しない仕事を、今日も半端に切り上げて席を立つ。

自分で言うのもなんだが、僕は決して出来が悪い社員ではない。
むしろ要領も良く、ミスも少ないので、みんな僕に仕事をやらせたがる。

そう。仕事ができるからといって、さっさと帰ることができるのではない、ということに、僕はもう少し早く気付くべきだったのだ。

新入社員のうちは、褒められることもあれば、たまに定時を迎えるまでに全ての仕事を終えてしまって怒られたこともあった。

中途半端に昇進した今では、「誰よりも実務を抱える課長」の呼び名で通っているのだと、若手の安藤さんがこっそりと教えてくれた。

どうせ家に帰っても待っててくれる家族もいないし、いいんだ。
あの時笑って安藤さんに言った自分の声が、今日はいやに耳の奥で響いている。

一体何のために働いているのだろう。
そうしてまで、何のために生きているのだろう。

こんなことを考えるたびに、誰かが本当は正解を持っていて、僕にだけそれを隠しているのだ、と思う。
どうしても見つけられないからだ。
周りのみんなが笑って幸せそうに暮らしているのは、みんながその答えを知っているからなのか。
それとも、みんなそんなことにも気づかずに生きているのか。
あるいは気づかないふりをして命をつなぎとめているのか。

僕はある時に気づいてしまったのだ。

その「誰か」は、正解の書いた紙を焚き火で燃やしてしまったのだと。
答えは焦げくさい煙となって、空に消えていった。

だから。
僕は生きる意味を考えてしまう時、できるだけ生きる意味を求めないように努力している。
考えることは自由だ。自由で、平和だ。

そのフリーダムに、「求める」という欲望を入れてはいけない。
それはきっと、僕の身を滅ぼす。

欲望は不満を生み出す。

考えることをやめることはできない。
その先の行動を変えることができるだけだ。

それって、すごく自由だと思わないか?

明日は貴重な休日だ。

明日のことは、明日目が覚めた時に決めようか。
せめて今日こそはぐっすりと眠れますように。

あとがき

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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