反面教師

またお姉ちゃんがぷりぷりしてる。
朝の9時になるまでは、大きな声を出さないでって言ってるのに。

あの人は家族に期待しすぎている。

「世界には期待なんてしちゃいけない」なんてわかったようなふりをしながら、どうしても心のどこかで期待してる。

そして、それを一番わかってるのもあの人自身。
自分の中に棲み着く矛盾を、お得意の合理的な思考で追い払おうとしているからうまくいかない。
それは、自分の影に付いてくるなって言っているみたいに、おかしなこと。

世界は単純だけど複雑で、人間なんかの頭のなかに収まることばかりじゃないの。

ねえ、お姉ちゃん。
あなたにもそれがわかっているんでしょう?
それなのに、どうしようもないんでしょう?
生きにくそうだね。

だから私は、あの人に期待させない。
何もできない妹の役割を務める。

そうしている限り、私たち姉妹の関係は、本当に平和なんだもの。

ほら、またお姉ちゃんが怒っている。
あれと同じことを私がしても、きっと怒らないんだろうなあ。

だって私は期待されていないから。
やらなくて当然だから。

こんなに楽なことはない。
たまに気が変わって期待以上のことをすると、すごく喜ばれる。

「あなたは逃げてるだけ。自分の能力以上のことをして失敗するのが怖いのよ。何も求めていないふりをしていれば、楽でしょうね。自分のやりたいことに耳をふさいで、はじめからそこには何もなかったかのように。そうしたら、自分が何も行動しないことにも言い訳がきくし、何より絶対に失敗することはない。そうやって一生を終えていきたいんでしょ」
前にお姉ちゃんにこんな風に言われたことがある。

確かにお姉ちゃんは頭がいいし、今まで色んな事に挑戦して、自分の手に入れたいものを手に入れてきた。

でも、あの人は自分みたいな人ばかりじゃないんだってことを学ばなきゃならない。

前はお姉ちゃんが羨ましかったこともある。
でも今は、自分の身分相応の欲求をみつけて、やっと私の心は平和になれたの。

あなたに邪魔する権利なんてないわ。

あなたが母親に怒っているのは、彼女にまだ期待しているの。

「私が母親だったら、お母さんみたいな母親には絶対にならない。死んでも」
そう面と向かって言っているのは、まだお母さんに理想像を求めているから。

それは優しさだと思う。

私にとって、母親は反面教師だ。
もう期待の一欠片すら持っていない。
ただの同居人。

幼い頃から、母親のせいで随分と被害を被ってきた。
幼稚園のお迎えには遅れないことのほうが珍しかった。
おばあちゃんがお母さんのことを悪く言うのをなだめていたのは、いつも私だった。
愛してくれているのはわかったけれど、それならどうして。と思うことがたくさんだった。

それでも、私は子供がほしい。
お姉ちゃんみたいに、
「どうして子供がほしいのか」
「この世界は、自分の子供に見せてやりやいほどいい世界か」
「子供ができても、共働きが出来る環境は確実に確保できるのか」
「それでいて、自分の母親のように母親業を放棄したりせずにいられるか」
そんな終わりのない問いを自分に問いかけ続けながら、動けなくなってしまうほど深くは考えない。

でも、私は私の子供が見てみたいから。
母親のようにはなりたくないから、専業主婦でいい。

でも、そのためには誰かと出会わなくちゃいけないんだよなぁ。
お姉ちゃんは「外に出ろ」と言う。

ここが私の問題。
外に出ようとすると、あの頃私に覆いかぶさっていた黒いトドのようなあいつがチラリと姿を見せる。
「お前にはできない。お前が何かを望んでも、皆に笑われるだけだ」
そう私を脅してくる。

そうなると、私は途端に怖くなる。
今の暖かなひだまりに、身を埋めていたくなる。
例えそれが井戸の中の小さなひだまりで、ほんの少しの光であろうと。
例え井戸の外にはもっと大きな大きな太陽のきらめきがあろうと。

それを手に入れようとすると、私はこの小さなひだまりを手放さなくちゃならないかもしれない。
その光は、私には眩しすぎるかもしれない。

だから、もう少しこうしていたいの。
わかって。

あとがき

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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