【引きこもりの北欧紀行】第一章その4 旅立つ同胞としての年輩者

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はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 通路側に座る者の宿命と、窓側に座る者の宿命がある。

僕はどちらかというと頻繁に歩きまわりたいタイプの人間だから、通路側で助かった。おまけに隣に座っていたのは見るからに健全な老夫婦で、僕はできることなら二人の楽しげな会話を邪魔したくはなかった。

 ちょうどその時も、婦人が、飛行機が離陸してから三度目のトイレに立った時だった。男性の方がおもむろに僕に話しかけてきた。
 「お仕事ですか?」
 「いや、ちょっとたまたま長い休みをもらったもので」
 こういう時の説明はできるだけ簡潔な方がいい。
 僕の仕事がフレキシブルでポータブルで、それでいて今回の旅は半分休暇を兼ねていて、なんて話を細かいところまで話しだすときりがないし、誰もそんな事情なんて知りたくないのだ。世間には、社交辞令的会話というものが存在する。

 「いいですね。どこの国に?」
 「ちょっとスウェーデンとフィンランドとリトアニアに。そちらは?」
 「スウェーデンですか。去年の夏ちょっと行ったな。今回はベルギーとブリュッセルを回るのです。ヨーロッパが好きなもので、若い頃から隙を見つけては行っているんですよ」
そこで、彼の「ワイフ」なる人が帰ってくる。

 途端に彼女が会話の主導権を握り、僕はほとんど言葉を発さなくなってしまった男性に少しばかり同情した。しかし、そんな余裕のある感想を持てていたのも束の間、僕は彼女の人生説法にしばし頭を垂れ続けることになる。僕の人生観、仕事観、そして主に恋愛観において、彼女は小一時間の間、自らの経験を交えて僕に助言を与え続けた。僕はすっかり参ってしまい、打ちのめされてしまったが、不思議と嫌な感じはしなかった。

 世間には実にいろいろな人がいて、いろいろな考え方がある。要は自分の価値観や生き方に自信があるかどうかで態度が決定され、幸福度が変わってくるように思う。哲学的にではなく、自分の心の声に従う。要するに僕は頭でっかちなのだ。僕のような人間にとって、まず「心の声」を発見するという課題がいかに難解なものか、彼女にはきっとわからないのだろう。

 まだ会話が二人きりの時に、婦人は75、6歳、自分は78歳だと男性は僕に教えてくれた。正直言って全くそんな歳には見えなかった。「いろいろあった」人生を経て、今この瞬間を謳歌する二人は、実に若々しく生き生きとしていた。そんな婦人が説法の最中に自分は夫より七つほど下だとはっきり言った時は、さすがの僕も口角が上がるのを押さえられなかったのだが。

 旅とは、出逢いだ。見知らぬ土地での見知らぬ人との。

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【引きこもりの北欧紀行】第一章その5 到着。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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