【引きこもりの北欧紀行】第一章その6 旅の災難

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はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 ベルトコンベアー。
 これほどまでに産業的で効率を象徴している言葉もなかなかないだろう。
 止まったままの黒い帯状のサーキットに僕の荷物が見つからなかったその瞬間、僕は悟った。

 ロストバゲージ。
 その災難が、まさか自分の身に降りかかるなどとは思いもしなかった。むしろ幸運と言ってもいいくらいの確率ではなかろうか。その時の僕は、途方に暮れるには眠すぎたと思う。ほとんど何も思考しないままBaggage Claimと書かれたカウンターに出向き、僕の荷物がないことを伝えた。

 慣れた様子の係員は、僕のキャリーの特徴を聞いた後、慣れた様子で一枚の紙を僕に渡した。20キロのキャリーが、一枚の紙切れになった。随分とスリムになったものだ。わらしべ長者なら、きっとこの交換には応じないだろう。

 バスと電車を乗り継ぎ、なんとか今日の宿にたどり着くことができた。駅からの道順を丁寧に教えてくれた通りすがりの老人は、今日イチの「天使カード」だった。部屋に着くと、僕は道中で調達した果物を口にした。日本を出てから、実に18時間が経過していた。もっと経っていてもおかしくないと思えるくらいだった。そのようにして、身軽な僕はベッドに潜り込む。数秒後には僕の寝息だけが、部屋に存在する唯一の音になっていたはずだ。

 疲れすぎているとあまりうまく眠り込むことができない、という法則がある。そのようにして僕は夜中の三時に目を覚ます。

 夜中の三時。
 僕はカナダへ旅行をした時に数日間に渡ってひどい時差ボケに悩まされたことを思い出す。時差が14時間だろうと、7時間だろうと、僕は異国の地で午前三時に目を覚ます具合になっているらしい。服のままで眠り込んだ僕の身体は、汗でびっしょりと濡れていた。ひとまず本を広げることにする。小説というものは、向き合う現実があまり心愉しいものでない場合に実に有効的に機能する。うまくいけば、肉体的な疲労や不快感を忘れることさえできるのだ。いつの間にか、僕はまた夢の世界へと誘われていた。

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【引きこもりの北欧紀行】第一章その7 スウェーデンでの朝食

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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