【引きこもりの北欧紀行】第一章その9 足あとを再び

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はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 今日は歩こう。そう決めていた。前にこの街に来た時から、三年近い月日が流れていた。その時は友人と一緒だったが、今回は一人だ。何が変わり、何が変わらないのか。僕の心はどう感じるのか。ここ数年の間、日本で色々なことを体験した僕は、僕自身の変化に興味があった。

 まず、僕の大好きな街並みが広がるGamla Stan(ガムラスタン)という旧市街に赴いた。
 ここは観光地としても有名であり、人混みの苦手な僕には少々心配な場所だったが、それを差し引いても余りあるくらいの魅力がここにはあった。一面が黄色く塗られた建物が僕を出迎えた。僕の祖父の家の近所にも黄色い家があるが、周りからは気が触れたみたいに思われているらしい。その点、ここでは黄色い建物は実にしっくりと街になじむ。出来のいい写実画を切り取ったようなその佇まいは、確かにヨーロッパの北に位置するこの国の歴史を感じさせた。

 思ったほどの人通りはなく、僕はじっくりと僕の思考に身を埋めることができた。左は芥子(からし)色、右はサーモンピンクの濃淡まだらに塗られた2つの建物に挟まれた小道には、今にも小さな女の子が猫を抱えて駆けて来そうな平和な陽が射しこんでいた。僕は目を閉じて、そのような女の子が実際にそこにいる場面を思い浮かべてみる。悪くない。日本の有名な映画にも出てきた、黒猫を抱えた少女だ。建物の下についているかまどのような扉は、きっと魔法使いの国への入り口に違いない。

 そのようにして目に入る風景に勝手に物語をくっつけながら歩いていると、街は実に色々な顔を見せてくれた。帽子店のウィンドウに飾られたマネキンは、見飽きた観葉植物から目をそらせようと、こっそりと視線を左に向けていたし、長く白いトンネルは巨大な哺乳類の食道となって、僕をつるりと飲み込んでしまった。あとに残ったのは、僕の髪の毛が三本とオレンジの皮だけだった。そのような儀礼的ななにかを通してしか僕はこのトンネルを抜けることはできなかったし、それはきっととても重要な意味を持っていた。そうして僕は楽園へとたどり着いた。

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【引きこもりの北欧紀行】第一章その10 街歩き

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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