【引きこもりの北欧紀行】第一章その11 夢の図書館

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はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 すでにホテルを出発してから三時間が経っていた。歩き続けた僕の足は、じんじんという痺れとともに限界を訴えていた。そろそろだ、僕は確信した。案の定、小高い丘が見えてきた。インターネットで調べていたとおりだ。これでいい。僕は持っていた地図をしまい、丘を越えた。ついに今日の最終目的地に辿り着いた。

想像していたよりも地味な入り口が僕を出迎えた。能ある鷹は爪を隠す、とはよく言ったものだ。内側が素晴らしい建造物は、往々にしてその外観を目立たないようにやつしているものだ。

 はやる気持ちを抑えながら、扉を押し開ける。向かって左手が論文収納室、右手はよくわからない。ひとまず左手に向かうことにする。目の前にずらりと並んだ論文の山を見て、僕は納得する。なるほど、これが有名なストックホルム市立図書館か、と。右手の方は階段になっていて、二階と三階に渡って各国の図書が収納されていた。

 正直な気持ちを言ってしまうと元も子もないが、やはり拍子抜けした感は否めなかった。期待しすぎてはいけない、日本であれほどまでに自分に言い聞かせている習慣が、異国の地でつい抜け落ちてしまっていた。特に読みたい本(というか判読できる本)もなかったため、僕は早々と帰ってしまうことに決めた。
 時刻は昼の一時過ぎ。ホテルに帰るには早すぎるし、別の目的地を探すには疲れすぎていた。ほとんどなにも考えないままに歩き始めた僕の目に、もう一つの建物が飛び込んできた。

 人は、期待していたよりも価値が低いと判断せざるをえない事柄に出会った時、どんな行動を取るのだろう?
自分の期待値にできるだけ沿えるよう、その事柄への評価をできるだけ高めようとするだろうか?
あるいは、もともと持っていた自分の期待値を、できるだけ下げようとするのだろうか?
今回のケースは、それはそのどちらでもなかった。

 いや、一度は価値が低いと思ったそれが、再び姿を変えて僕の前に現れたのだ。つまりは。

 先ほど図書館だと思った建物は実は別館に過ぎず、本物のストックホルム市立図書館は別にあったということになる。扉を開けた瞬間、それは確信になる。先ほどとはまるで違う、砂金を散りばめたような輝く空気。すっと息をするごとに胸に広がる、古びた紙の匂い。

 間違いなくここのはずだった。

 二階へと続く階段を、一段一段踏みしめながら味わった。最後の五段は、ほとんど駆け上がるように登ったと思う。夢にまで見た場所が広がっていた。あの光景は、決して僕が過剰な期待のために作り上げた幻想などではなかった。

 シロナガスクジラを十頭集めたよりも大きな吹き抜けのホール。
世界中の本を集めても足りないんじゃないかと思えるくらいの本が、所狭しと並んでいた。ホールをぐるりと囲むように三層に分けられて並ぶ本たちは、よく躾(しつけ)されたハープを想い起こさせた。ほろりほろりほろり。色とりどりの本たちは、それぞれが僕に背表紙を向けて静かに音を奏でていた。

 この瞬間を待っていた。それぞれの本はもちろん素敵に光っている。しかし、それらがひとつに凝縮されることがもたらす結果は、僕の想像以上だった。
暫くの間、僕はそのホールの中ほどに位置する長椅子に腰掛け、ただ何をするともなく本の円周を眺めていた。そうすることがこの場所への敬意を表すことになると、そう思ったのだ。

 しばらくそうして満足すると、僕は本を探し始めた。驚くべきことに、図書館には続きがあった。円周の90°、180°、270°のところには、そこからさらに奥へ続く部屋が存在した。もちろんそのどれもに本がぎっしりと並べられ、僕はほとんど気絶しそうになった。
あいにく僕にはスウェーデン語を理解する能力が欠けていたため、物色する本は自然と限られることになった。五冊の料理本を机に積み重ね、僕は順番にページをめくっていった。美味い食べ物というのは、素材や調理法こそ違えど万国共通なのだ。それは時に、言葉よりも強固なコミュニケーションを生み出す。

 そんなことを考えているうちに、僕は船を漕ぎだした。そう、僕は確かに疲れていた。言い訳もできないほどに。大人しく本をしまい、この夢の様な世界に別れを告げる。いつかまた戻って来られたら。心からそう願って席を立った。

図書館1

この階段をのぼる瞬間の気持ちは言葉にできない

図書館2

「住みたい」
そう思ってしまった

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【引きこもりの北欧紀行】第一章その12 おかえり、相棒

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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