【引きこもりの北欧紀行】第一章その12 おかえり、相棒

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 帰りに中央駅で途中下車をする。今朝唐突に思いついた計画を、実行に移した。こういう時の思い切りの良さは、母親譲りだろうか。とにかく僕は、そうしてストックホルム一日目の観光を終えた。

 ホテルに帰り着くと、夕方の四時になるかならないかというところだった。ひとまずシャワーを浴びて汗を流し、軽い夕食を摂った。一人旅の気楽なところは、好きな時に適当に食事を済ませてしまえるところにもある。裏を返せば、誰かと一緒にいることではじめて豊かな食事を摂ろうという気になれるのだ。適度に腹が満たされると、僕はにわかに眠気を感じた。そう思い立つやいなや、僕は深い沈黙の中へ落ちていった。

 随分と窮屈な夢を見た気がする。何処かへ押し込められるような、体が搾り取られるような、そんな夢だ。
目が覚めると夜の七時を回っていた。すでにパソコンの充電もそろそろ尽きようとしていたので(充電器はキャリーの中だった)、読みかけの本を読み進めることにする。
今読んでいる本は、特殊な羊を探す物語だ。前に読んだ時とはまた印象が変わった気がする。
世の中というのは、何もかもが主観だ。主観と思い込みと恋の行方。それだけで全てが成り立ってしまう。真実なんてものは、ひとつとしてないのだ。捉え方次第で、物事は180度その様相を変える。

 ぷるるるるる。
 はじめは本の中の電話のベルが鳴ったのだと思った。

 ぷるるるるるるるるるるる。
 いや、違う。僕の部屋から聞こえているのだ。

 「はい」
 「あなたの荷物あるよ」
 「あ、ありがとう」
 やけにシンプルなやり取りだった。

 お互いがお互いの要件を初めから承知していて、電話はそれを最後に確認するための合図でしかないと言った風のやり取りだった。フロントからの電話だった。
待ちに待った僕のキャリーが、ついに空港から届けられたのだ。充電器、パジャマ、衣類、シャンプー類、土産物。今やすべての荷物が僕の手中にある。トラブルに巻き込まれることの良い点は、幸福を感じるハードルが限りなく下がることにあると思う。すっかり安心した僕は再び小説を広げ、今しがた手に入れた栓抜きでお酒の栓を抜いた。

 スウェーデンは、酒に関する制限がやけに厳しい。酒は、政府が管轄するSystem Bolagetという店でしか買えない。夕方までしか開いていない上に、パスポートの提示が必須だ。
国民が酒を飲み過ぎないように考え出された政策だというが、週末は深夜も休むことなく電車が走り、バーでは際限なく酒が提供されるのだから、その政策がうまく機能しているかどうかは首肯しがたいかもしれない。
僕は最初にそれを聞いた時、確かに酒を買うハードルが高い国だと思ったものだ。しかし、この話には続きがある。

 スウェーデンのスーパーには、何くわぬ顔をしてお酒が置いてある。3.5%のビール、3.35%のシードル(チューハイみたいなものだ)など、結構種類も豊富だ。酒は政府の管轄の元、独占販売をされているはずにもかかわらず、スーパーは年齢確認もなく無法地帯だ。

いったいどういうわけか。
この答えを知った時、僕は思わず苦笑してしまった。つまり、スウェーデンにおいては、アルコール分が3.5%以下の酒は酒であるとみなされないというのだ。言われてみれば、System Bolagetで買う酒は、どれもが最低7%のアルコールを含んでいたように思う。酒に弱い僕としては、3.5%のアルコール分は本当に十分な数値なのだが。

 そのようにして、僕は再び眠りについた。

酒

愛すべきキャリーの帰還を祝い、祝杯をあげる。
おかえり。

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投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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