【引きこもりの北欧紀行】第一章その14 ただいま。

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 スウェーデンの鉄道には、Last minute(ラストミニット)チケットという切符が存在する。出発まで24時間を切った列車の席を埋めるため、鉄道会社が割引を始めるのだ。
 その朝、僕は帰りのチケットを買うために駅のインフォメーションへ立ち寄った。そこで彼女が告げた事実は、もうすでにチケットは売り切れてしまい、あとは通常のチケットしか残っていないということだった。昨日行きのチケットを買った時は、ヨーテボリまでが459スウェーデンクローナ。日本円にして7,000円弱といったところだ。僕が留学していた頃はもっとレートがよかったのだが、最近はめっきり円が弱くなってしまった。

 ところが、彼女が言う通常のチケットの値段を聞いて、僕は少々たじろぐことになる。なんと1,020スウェーデンクローナだと言う。日本円にして15,000円。ちょっとした日帰り旅行の交通費に、往復22,000円はさすがに少々痛い。しかし、ヨーテボリに行きっぱなしで帰って来られないのはもっと辛い。僕は明日の朝、今のホテルをチェックアウトすることになっているのだから。仕方がなしに「そのチケットを買う」と申し出ようとした僕に、彼女は言った。

 「実を言うと、もう一枚Last minuteチケットがあるって鉄道会社のサイトには出てるのよね。ここにはないけれど。あそこに鉄道会社の窓口があるから、聞いてみるといいわ。うん、それがいいわ」
 なんということだ。てっきり僕は、このインフォメーションが鉄道会社の窓口だと思い込んでいたのだ。僕は彼女に礼を言って、その最後のチケットを手に入れる幸運な一人になるために歩を早めた。それは、旅行会社のようでもあったし、銀行の待合室のようでもあった。少なくとも、僕の知っている「みどりの窓口」のようでなかったことは確かだ。
僕が番号札を取るやいなや僕の番号が呼ばれ、Macという気のいいスウェーデン人が僕の対応をしてくれた。時刻は8時前。スウェーデンとはいえ、首都のストックホルムの朝は早い。お疲れ様です。

 彼によると、僕の希望する18:30前後には2種類の列車がヨーテボリからストックホルムに向かうとのことだった。
一つは僕が行きに乗るものと同じ快速列車。これなら3時間でヨーテボリとストックホルムを行き来できる。もうひとつは各駅の夜行列車で、これはスウェーデンの北、キルーナというラップランド地方に向かうまでにストックホルムで途中下車するという列車だ。
これなら帰りは四時間かかることになる。僕はできることなら予算を節約したかったので、安い方の列車を予約することにした。価格は364スウェーデンクローナ。大体5,500円くらい。同じヨーテボリとストックホルムを行き来する列車の価格が三倍も違うというのはどういうわけか。世の中の値段の付け方というのは結構適当なものなのだな、と僕はつくづく痛感した。

 行きの電車はさすがに快適な車両だった。ふかふかのソファーシートに、滑らかに動く車両。高級な電車のにおいがした。おまけに隣りに座ったスウェーデン人は僕の好みのタイプで、僕の列車旅は間違いなく楽しくなりそうな予感がした。
車内では無料のWi-Fiがつながっていて、僕は昨日急にアポイントメントを取ったヨーテボリの友人たちに再度確認を取る。最近あまり寄り付かなくなっていたFacebookだったが、こういう時に改めてそのありがたみを感じる。仕事関係のメール処理をこなし、あとは気ままに旅行記を書いていた。しかし、一時間半ばかり走ったところで様子がおかしくなってくる。

 僕は乗り物酔いをした。

 僕は生まれつき三半規管が弱く、いとも簡単に乗り物酔いを起こしてしまう。車、電車、飛行機、最近では遊園地の乗り物やブランコまでだめになってしまった。今回も例に漏れず、僕は気分が悪くなってきた。パソコンを操作していたのが悪かったのか、それとも普段あまり食べない朝食を張り切って食べすぎたのか、原因はありとあらゆるところにありそうに思える。
僕は諦めてシートにもたれかかり、外を眺める。街並みはすっかり田舎の風景に切り替わり、どこまでも続く草原と雑木林が広がっていた。都市と都市の間に確かに存在する、こののっぺりとした穏やかな風景は、シャツのボタンとボタンの間に存在する空間を思わせる。

ボタンを付けられることのない、平坦な布地。そこから動くこともなく、ただボタン同士をつないでいる。窮屈ではないのだろうか。いや、窮屈なのは、ボタンのほうなのかもしれない。空はまるで空色のペンキをぶちまけたみたいにすっかりと晴れている。ところどころ浮かんでいる雲も、ごきげんうるわしゅう。今日は天気が良い。

 座ることに足が飽きてきた頃、ヨーテボリに到着した。僕はだるい足を持ち上げ、ヨーテボリ中央駅のホームに降り立つ。

 見覚えのある駅舎。
ゆっくりと噛みしめるように駅の外へと歩いた。外から眺めるこの駅は、まさに僕が三年前から二年前にかけて幾度となく目にしたあの駅だった。

僕は帰ってきた。

夏のスウェーデン

わたしが留学したのは8月の終わりから5月の初めまでだったので、真夏の北欧は初めてでした。

【引きこもりの北欧紀行】第一章その15 足あとを辿って

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