【引きこもりの北欧紀行】第一章その15 足あとを辿って

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はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
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 時刻は11:30。あまり時間がない。足早に駅を離れ、まずはNordstanというショッピングセンターへ向かう。

「北欧随一の大きさを誇るショッピングセンター」と銘打たれたここは、イオンモールの3分の1くらいの店舗数がある。
人口900万人の国の第二都市にある巨大ショッピングセンターは、それでも大勢の人で賑わっていた。

僕は歩き続ける。今日はトラムを使わない。僕の足あとが幾ばくかでも残っているかもしれないこの土地に、また新たな足あとを残して帰りたいのだ。いや、なぞるだけだっていい。

 この二年の間に、街はほんの少し変化していた。季節柄もあるのか、どこもかしこも工事中だった。僕の気に入りのカフェも、いくつか閉店していたり工事中だったりした。
正直言って、ヨーテボリ市内のカフェに限定するならば、僕のカフェ知識は現地の人よりもあるんじゃないかと思う。
僕の卒業論文はカフェについてだったし、お酒よりコーヒー好きな僕は、ヨーテボリ中のカフェを調べあげ、可能な限り店を訪れ写真付きのレポートを作成していたのだ。
こういう作業には、完璧主義な僕の性格がよく出る。遡るなら、スウェーデンを留学先に選んだのだって、カフェにたくさん行けそうだからという隠れた動機があったことはここだけの話だ。
寮に友人をたくさん招いてカフェのまねごとをしたのも今やいい思い出だ。

 そんなことを思い出しながら街を歩く。
ああここで新入生歓迎のゲームをしたな、とか、ああここは何度も歩いた通学路だ、とか、おおこの駅はよく待ち合わせをしたところだ、とか。
独特のスウェーデン風の発音で、駅の名前をぶつくさと呟きながら、僕は思わず微笑んでいた。

特にカフェが集まる通りを歩いている時、このカフェは誰々と来た、こんな時期だった、こんな話をした、これがおいしかった、なんていうとりとめもない、けれど大切な宝石箱みたいな思い出が次々に蘇った。FIKA(フィーカ)。スウェーデン語で「お茶をする」といったところだろうか。いや、もっと深いところで繋がる感覚が、この言葉にはある。コーヒーやお菓子を囲んで大切な人と話す時間を慈しむスウェーデンの人びとが、僕は大好きだったのだ。そして、そんなスウェーデンの素晴らしさを、今まさにからだじゅうに受けて歩いているのだ。
夏の終わりに来て夏が始まる前に帰ってしまう留学生たちが逃してしまう、一番すてきな季節。
夏のヨーテボリは、僕が思い出せるここよりもずっと明るくて、温かくて、きらめいていた。思いつく限りの全部のきらきらしたものを集めて、ここにその全部を降らせたみたいな、大げさだけれどそんな気がした。

 通っていた学校の前を通った時、僕はほとんど泣きそうになった。ここには特にいろいろな思い出が詰まっている。僕は人生で初めてと言ってもいいくらいの挫折を、ここで味わった。
努力さえすれば、なんでもできると思っていた。もうだめかもしれないと思った。こっぱみじんになった。悔しくて、悲しくて、自信を失った。僕はどこまでも、無力な完璧主義者だった。それでも学校はあの時と変わらない様子で僕を迎え入れた。夏休みにもかかわらず、中にはまばらに生徒がいた。

 あの頃の自分が、今の僕に重なる。手が、足が、目が。見える風景は同じだけれど、僕の見る風景は違った。何かを少しずつ取り戻すみたいに、僕はゆっくりと歩いた。
失われた何かを取り戻し、新しい何かを置いていく。その何かはこれからも僕の中で力になってくれるのだろう。ここに戻ってきて、本当によかった。僕をここにもう一度呼び寄せてくれた全てに、僕は感謝した。

 最初の待ち合わせまであと30分。まだ大丈夫だ。僕は、ヨーテボリで一番大好きなカフェを訪れた。

二匹の小さな鳥。そんな名前を持つこのカフェは、僕が最もつらい時期に足繁く通ったカフェだ。ここは店内の雰囲気、お店の人の対応、飲み物、なにもかもが温かい。初めてここでホットチョコレートを飲んだ時、「ホイップを多めに入れておいたからね」というあの笑顔が僕をどれだけ救ってくれたか。夏の時期にはさすがにアイスラテの看板が一番目立つところにあった。

 「すみません、注文してもいいですか?」
 「もちろんですよ。今サラダをサーブしないといけないので、1分待っていただけますか?」

 オレンジ色の丸い真珠のような印象を持つ女性店員が顔を上げる。
ここの店員は、他の店で感じるようなフランクで砕けた感じがない。あくまでも丁寧に、優しく、謙虚に応対をする。どちらがいいのかは、まあ時と場合と人によるのだろう。

 「お待たせしました」
 「えーーーっと、ホットチョコレートをお願いできますか」
 「はい、もちろんです。クリームはいかがなさいますか?」
 「ちょっとだけ、お願いします」
 僕は乗り物酔いをしていたことを思い出していたが、ここだけはどうしても譲れなかった。

 がんばれ、あの頃の僕。

 店内は以前よりもすっきりとした印象になり、セカンドハンドだった椅子や机も、スタイリッシュで座り心地の良い新しいものに変わっていた。なにもかもが、変化する。改善を目指し、時に裏目に出ることもあるが、長い目で見ればそれは進化なのだろう。
温かくて、とびきり甘いホットチョコレートは、歩き疲れた身体ぜんたいに染み渡った。そのままソファーで眠り込んでしまえそうだった。

Valand
この駅が一番よく使った気がする。

通学路
分厚いコートを着て、この道を何度歩いたかわからない。

ヨーテボリ経営大学
わたしの通っていた、ヨーテボリ経済大学。

Hagaのカフェ通り
ヨーテボリの中でも有名なカフェ通りである、Haga

思い出のカフェ
Two Little Birdsという名のこのカフェは、あの頃のわたしにとってまさに心の栄養だった。

メニュー
スウェーデンのカフェは、だいたいがこんな感じ。
自然に置かれた北欧インテリアに、手作りのお菓子が山積み。

ホットチョコレート
ほんのりあたたかく甘い、けれどくどすぎない、包み込むようなふわりとしたホットチョコレート。

内装
もうわたしの知っている、ぼろっちい内装ではなくなっていた。

【引きこもりの北欧紀行】第一章その16 異国の友人

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