【引きこもりの北欧紀行】第二章その6 旅の朝は腹が減る

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【引きこもりの北欧紀行】第二章その1 ゴットランド島 憧れの魔女の島へ その1

Sweden Day 8

 朝の六時半。カーテンの隙間から差し込む光は、すでに太陽が空高く昇っていることを示していた。
人々は活動を始め、冬の分まで日光を体に蓄えようとしている。僕には到底真似のできない芸当だ。

安らかに眠る彼女を横目に、僕はささやかな光を集めて読書を始めた。ここに来てから、彼女は部屋が暑すぎるのと、スウェーデン人がうるさいのとで眠れない、と終始嘆いていた。僕は彼女にいくらかでも眠りが訪れたことを喜んだ。

 今読み始めている小説は四年ほど前に発売されたもので、当時の僕にとっては何かと不可解な事実の多いものだった。
ただでさえ彼の小説は独特の比喩表現が溢れていて、それはまるで幾重にもほつれた糸を時間をかけて解きほぐし、うまく行ったと思ったら別のところがほつれているのを発見するような、出口のない作業に似ていた。
それが彼の最大の魅力でもあるし、その一見意味を成さない「ほつれた糸」が僕たち読者を新たな場所へと導いてくれるのも確かなのだが。ともかく僕は、今の僕としてもう一度その小説を通り抜ける必要があった。
あるいはそのままそこに留まってしまうかもしれないが、そういうことを抜きにしてはうまく現実世界で日常を送れない質なのだ。僕のデジタル時計が八時を指した頃、ようやく起き出してきた彼女が言った。

 「ねぇ、朝ごはんを食べに行きましょうよ」
 彼女の一日はそのようにして始まった。彼女の胃は猫よりも気まぐれだ。

 食堂はひどく混雑していた。誰もが今日一日のエネルギーを蓄えるために皿を携えて列をなしていた。そこには豊かさが溢れていた。ベーコン、ソーセージ、チーズをはじめとするパワー系物質、オレンジ、洋ナシ、きゅうり、パプリカ、トマトなどの草木系物質、ほとんど牛乳のような風味のヨーグルト(僕はこれを好まなかった)、あらゆる種類のコーヒーが楽しめる高度な機能を兼ね備えたマシン、そして様々な種類のパン。

ここには実に多様なパンがある。日本にも確かに多くの種類のパンがある。あんぱん、メロンパン、ソーセージパン、チーズのパン、ハムマヨ、ツナ、くるみパン、カレーパン。ざっと思いつく限りでも二週間は毎日違う種類のパンが食べられそうだ。

しかし、ここではパンの具という意味ではなく、様々な種類の生地があるのだ。
日本で言うところの食パンのようなパン、フォッカチャ生地のパン、茶色く丸いパン、何かの種が乗った円盤型のパン、真っ黒な色をしたケーキのようなパン、スパイスが混ぜ込まれたパン。それに数えきれないくらいのクラッカーが陳列されていた。
とにかく僕の理解を越える原料の多様性があり、それは僕を混乱させ、ある意味では興奮させた。

僕は試しにグルテンフリーと書かれたパンを取った。日本でグルテンフリーのパンなんて滅多にお目にかかれないし、そもそもグルテンフリーの意味するところすら危うい始末なのだ。小麦にはグルテンが含まれる。要するにこのパンには小麦粉が使われていないということだろうか?

 小麦粉の使われていないパン?

 それは何かしら奇妙な響きを持っていた。そして、そのパンはパサパサとしていて、僕の好むところではなかった。
北欧の持つパン文化はどこまでも奥が深く、きっと僕のように一時的な訪問者に理解できるところではないのだ。僕はせいぜい見知ったパンを口にするか、いくつかの新しいパンを試す勇気を持っていればいいだけなのだ。シンプルでいいじゃないか。

 朝食を終えてしまうと、僕たちは再びパッキングに取り掛かった。旅の悪い点を挙げなければならないとすれば、おそらくこの「パッキング」が上位に入るだろう。ホテルを移る度に僕たちは注意深く荷物を詰め、そして新しい宿でキャリーの一番下の物を取り出すのに何もかもを引っ掻き回すはめになる。

ムーミン

そう言えば昨日のまちあるきでムーミンの店を見つけた。
どこにいてもこいつは人気らしい。

【引きこもりの北欧紀行】第二章その7 見て、海に浮かぶ街よ!

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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