【引きこもりの北欧紀行】第三章その6 北欧のベリーピッキング

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 「ここでいくらか見つけられるかもしれない」
雑草がそこら中に生い茂るあるポイントで、彼女は言った。

僕は日本でブルーベリー狩りに行った時のことを思い出していた。
30分の食べ放題で800円ほどだったあの農園には、僕の背丈ほどのブルーベリーの木が行儀よく並んでいた。
ブルーベリーを取ってその場で食べるためにお金を払うことに対して、フィンランドの友人たちは大いに驚き笑った。僕としては、家の裏の森でちょっとブルーベリーを採ってくるわ、なんていうノリのほうが驚きなのだが。

さて、この見晴らしのいい草原のような森の、一体どこにブルーベリーを見つけられるというのだろう。
 「足元よ、ほら」かがんでいた彼女は笑いながら顔を上げた。

 目を凝らすと、確かにそこには小さくて濃い群青色をしたブルーベリーの実がいくらかなっていた。すでに誰かに採られてしまっている部分もあったが、それでも僕はそこら中に広がる小さな葉の間に実を確認することができた。

それはまるで、誰かの帰りを待っている忠実なリスのようでもあったし、誰も辿り着くことのできない森の聖域でひっそりと暮らす妖精たちのようにも見えた。しかし、どれだけ美しく描写しようと、それはやはり萎れつつあるブルーベリーであった。

 ブルーベリーを見つめることに夢中になっていた僕は、彼女を常に視線の届くところに留めておくということをすっかり忘れていた。顔を上げると、彼女はいなかった。
僕は、周りの空気が冷えていくのを感じた。
それまで暖かな光を届けていた木々は今や僕を囲い込む兵隊となり、足元のブルーベリーの蔓は僕の足を絡め取ろうとしていた。

僕はここで僕が失われることを想像してみた。悪くないように思えた。

 「この辺のはちょっと古いわね。あっちに行ってみましょう」
 彼女が遠くから僕に叫んだ。彼女はちゃんとそこにいたのだ。

 僕たちが次に試した場所は、確かにさっきよりも多くのブルーベリーがあったし、比較的新しい実が多かった。僕は大いに興奮し、できるだけ多くのそれらをバスケットに収めようと努めた。

 「気をつけてね。転んだら全て水の泡よ」彼女が僕をたしなめた。
 しかし、バスケットを満たすのは思いのほか骨の折れる作業だった。さほど大きくもないバスケットに、小さなブルーベリーが詰められてゆく。一時間経ってもそれはほとんど空っぽみたいに思えた。あるいは僕がつまみ食いをしすぎているからかもしれない。

 「今日のところはこれくらいにしましょう」
 そう言う彼女のバスケットには、僕の倍はブルーベリーが入っていた。さすが小さい頃から鍛えられているだけのことはある。

 たっぷり二時間以上外の光を浴び、家に帰った僕たちはいつものように昼食を摂った。
いつものように、パンとチーズときゅうりとトマト。うん、充分だ。

ブルーベリーを食べすぎたせいで、僕の舌は随分と毒々しい色になっていた。きっとおとぎ話の世界では、僕は魔女か何かの役を与えられるだろう。僕は主役には向かない人間なのだ。いや、なんだったらそこらに生えている木の役のほうが上手く務められるかもしれない。

 「木の役の子がいるから、白雪姫が映えるのよ」何かの本で読んだ、保育園の先生の台詞が頭をよぎる。最近では、保育園の劇に白雪姫が六人も登場するらしい。全く何もかもがおかしい。

ベリーピッキング1
ブルーベリーの木は……どこだ?

ベリーピッキング2
足元に。

ベリーピッキング4
二時間でこれだけ。
ブルーベリーが高い理由がわかる。人件費だ。

ベリーピッキング3
文句のつけようのないいいお天気。

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【引きこもりの北欧紀行】第三章その7 旅と小説

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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