【引きこもりの北欧紀行】第三章その7 旅と小説

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 再び仕事を始めた僕は、いつのまにか眠っていた。僕はここにいると毎日でも昼寝をしてみまうみたいだ。

 「もしよかったらだけど、夕食の買い物に行かない?近くのスーパーマーケットだから、あまり期待はできないけど」僕が目覚めた時、彼女は言った。
 「もちろん。なにか温かいものが食べたいな」本当にここの夏は結構寒いのだ。

 近くのスーパーマーケットまで、車で五分ほど走った。いくら田舎とはいえ、ここにも近所にスーパーマーケットくらいあるのだ。
そこで僕らは必要最低限のものを買い揃えた。家に帰ると、僕はじゃがいもを洗い、彼女はその他の夕食の準備を始めた。
電子レンジではなく、じゃがいもを茹でて調理することができるくらいの時間的余裕を持てることに僕は感謝した。

 彼女が作った夕食は実に美味かった。じゃがいもにトマトと豆のソースをかけたもの、サラダ、あと何かあったが忘れてしまった。
僕はいつもの僕にしては信じられないくらいたくさん食べた。
月に何度か、僕にはこういう日がある。ただ、それだけなのだ。友人に言わせると、「ショーガナイネ」ということらしい。

 彼女とその夫と、それから半年ほど前から夫の古くからの友人が一緒に住んでいるらしい。今日はその彼との初対面の日だ。
 「彼、すごくシャイなのよ。私と初めて会った時、ほとんど何も話さなかったわ。まるでそこにいないみたいだった。知らない人のことをほとんど怖れているみたいに見えた」彼女は彼のことをそう話し、それは余計に僕を不安にさせた。

 彼女の夫とその友人は、自転車で汗だくになりながら帰ってきた。友人Vは彼女の夫と同い年で、変人で、ずっと運動していると聞いていた僕は、Vの印象に多少なりとも驚かないわけにはいかなかった。
彼は爽やかで、若く、モデルのような出で立ちをしていた。そして確かにシャイな人なのだろうと思った。
男の僕から見ても ―いや、僕は女だ― 彼に見とれてしまうほどだった。きっとぼくの妹は彼を気に入るだろう。そう思った。僕は男性をうまく男性的対象として認識する能力に欠けているのだ。

 僕たちは軽く自己紹介をし、ブルーベリーのスムージーとチョコレートを食べた。
なんだか頭がうまく働かない。今日はきっとそういう日なのだ。ぼんやりとした頭を抱えたまま、僕はみんなにおやすみと言った。

それでもなんだかうまく眠りにつけなかった僕は、日本から持ってきた小説を読み終えてしまった。これを読むのは二度目だが、前回よりも大きな発見が幾つもあった。
何より僕がまさに考えていることがそこには書いてあった。まるで魔法みたいに。僕のような考え方がちゃんとこの世に存在していることに、僕は安心感をおぼえた。

そこにはどんな答えも、ヒントすらも存在しない。救いもない。
しかし、そこには共感があった。生き方や価値観の許容があった。
それはあるいは救いなのかもしれない。

小説というのは、読む度に違った発見をさせてくれ、同時に僕から孤独感を取り去ってくれる。
ここでは僕は何者にもならずに済む。そして、作者が編む物語の端々または全体から、僕なりの解釈と次へ進むためのキイを手に入れることができる。そういうことができる小説を、僕も書きたいと思う。

テント
結局このテントで眠ったのは一日だけでした。
だって寒いんだもの。

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【引きこもりの北欧紀行】第三章その8 フィンランド人はシャイなの

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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