【引きこもりの北欧紀行】第三章その8 フィンランド人はシャイなの

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
旅のしおりを見る
【引きこもりの北欧紀行】第二章その1 ゴットランド島 憧れの魔女の島へ
【引きこもりの北欧紀行】第三章その1 フィンランド 第二の故郷

Finland Day 3

 「おい、大丈夫かい?いや、起きなくてもいいんだ。ただ少し心配になって」彼女の夫の声で目が覚めた。
時計は十時半を指していた。そうすると僕はおおよそ半日近く眠り続けていたことになる。どうしてこんなにも眠ってしまったのか、僕が一番疑問だった。
具合がわるいわけではないから、おそらくただ疲れていたのだろうと僕は解釈した。
今日は学校に行くと言っていた彼女は、まだ家にいた。

 「今日は家にいるわ。学校遠いし、時間の無駄だし」

 フィンランドは学校と名のつくものが全て無料だ。逆に国からお金がもらえるらしい。
彼女は農業の勉強をするために学校に行っているらしいのだが、授業が面倒だとのことだった。

僕はよく「自由」と「自分勝手」を混同してしまう。なにかしら好きなことをしている時、自分はわがままな人間ではないかと何かを恐れ、無意味な罪悪感を感じ、いつもなにかもっと人の役に立つことをすべきではないかと落ち着かないのだ。
ただ彼女を見ていると、他人に多大な迷惑さえかけなければ、なんだって好きなようにすればいいんじゃないかという気になってくる。自由だの自分勝手だの言う前に、人生を楽しんじゃえばいいのだ。僕は少しナーバスに過ぎる。

遅い朝食を摂った後、僕は庭に出て仕事をした。太陽の下で素敵な椅子に座って仕事をしていると、なんだかいつもよりも捗る気がする。太陽の力は、やはり偉大なのだ。

 庭では彼女とその夫が庭仕事をしていた。これで彼は四日続けて休みを取っていることになる。聞くと、今は週に三日だけ働けばいいことになっているらしい。
 「彼は今、家のリフォームに時間を取らなくちゃならないから」と彼女は説明した。
なんと親切な職場なのだろう。それともここではそれが普通なのだろうか。僕は段々と日本で上手くやっていく自信をなくしつつあった。

 簡単な昼食を摂った後、僕と彼女は少し大きな街へ出掛けることにした。ここは前にも訪れたことがあったが、あの雪に覆われた暗い冬の頃とは全く様子が違った。
絵の中のような青い空から太陽が惜しげも無く降り注ぎ、誰もが外でおしゃべりを楽しんでいた。僕らは目についた店でウィンドウショッピングをし、僕は冬の季節に頭に刻み込まれたこの街の印象を、ひとつひとつ塗り替えていった。
ここがこれほどまでに美しくきらめく街だとは、以前は想像もできなかった。

 短い滞在の最後に僕たちは大きなスーパーマーケットへ行き、果物や野菜やサーモンやらを購入した。そして、大きなアイスクリームも手に入れた。
一番近くのまともな大型スーパーまで片道20km。
日本の都会で育った僕にはおおよそ理解しがたい事実だったが、ここにいると僕はこちらの世界のほうがまともに思えてきた。小麦畑が広がり、週末には夕方六時に店が閉まり、夜の十時には家中の人が眠ってしまう。それが自然な成り立ちみたいに思えた。
家へのドライブ中、偶然に彼女の夫と友人Vが自転車で家路に就いているところを発見した。彼らはただその20kmを疾走していた。なんてタフな人たちなのだ。

 家に帰るやいなや、僕たちはまずクーラーボックスからアイスクリームとサーモンを救出し、それから他のあれこれをあるべき場所に収めた。
あとの二人の男性が帰ってくると、僕たちはまだ陽の明るい庭に出てアイスクリームを食べ、美味いコーヒーを飲んだ。まるでよくできたホームドラマみたいだった。ここにいると、何もかもが許される。

 僕はふたたびジャガイモを洗い、茹でた。そして、彼女はサラダを作った。彼女の夫は庭のコンロでサーモンとチーズととうもろこしをグリルし、その間に僕と彼女はハンモックで遊んだ。

 「あなたは何もしないってことを覚えなくちゃだめよ」と彼女は言った。
 「でも何かしてないと落ち着かないんだ。なにしろ日本にいるときは分刻みでいつも何かが起こっているからね」
 「私ならストレスで死んじゃいそう」
 「僕もこっちの生活から戻ったら、そうなるかも。ねぇ、何か僕に手伝えることってないかな。皿を並べるとか」
 「休んでなさい」彼女は微笑んだ。空は今にも雨が降り出しそうだった。
 すべての準備が整い、僕らのビュッフェがスタートした。留学していた時は北欧の食べ物を好まなかったが、彼らの食べるものは僕の口にあった。何より彼らとの食事は本当に愉快だった。

僕たちは成り行きで、世界の話をした。戦争の話、異常気象の話、原発の話、こういう話になると、僕は彼らをより親(ちか)しく感じる。ある種の日本人よりも、彼らと僕はずっと近いところにいる。とうもろこしが美味い話と、戦争の話がほとんど同時刻に交わされることは何かしら奇妙でもあったし、すべては繋がっているようにも思えた。
 食後には西瓜と桃を食べた。僕の好物が西瓜だと知ってから、彼らは毎日のように西瓜を用意してくれる。もう死んだっていいくらい幸せだ。僕は食べすぎないように注意しながら、やはりたくさんの西瓜を食べた。

 僕とVはふたりきりになった。僕たちは旅行の話をし、仕事の話をした。
日本ではあまり夏休みが取れないこと、大半が同じ会社に長く勤め続けることなどを話すと、彼は心底不思議そうにした。
彼もまた、余計なしがらみや価値観にとらわれない自由人なのだ。自分の守るべきものをきちんと知っている人は、必要以上に求めないし、その分自由だ。
僕はここにいると余計にそれを肌で感じる。井の中の蛙大海を知らず。昔の日本人はどうしてそれを知ることができたのだろう。一歩外には、大きな海が広がっているのだ。

 そして、僕は同時にシャイで無口な彼がこれほど僕と話をしてくれることを喜んだ。おそらく僕が日本人で、彼にとっての非日常だということも手伝ったのだろう。僕たちの食べ物の好みも似ていた。いい友達になれそうだ。

 「えーっと、おやすみ」彼が寝る前にわざわざ僕のところへ来てそう言ってくれた時、僕は彼と初めて会ったのが昨日だなんてほとんど信じられなかった。

さぁ、そろそろ23時になる。家中がすっかり寝静まってからもう一時間以上が経っている。僕もそろそろリビングから引き揚げて少し読書をして眠るとしよう。
 ヒュバユオタ(おやすみ)

テラス
こんなところで仕事をしていたら、逆にはかどらないのです。

晴天のporvoo
よく晴れたporvoo
ここはヘルシンキに次ぐ、この近辺の都市です。

おじさん
おじさん、勝手に撮ってごめんね。

川辺
夏の空を映す川は、とても素敵だと思う。

アイス
アイスクリームだって、日本じゃなかなかこんなのない。
しかも、もう、「乳」感がすごい。

フィンランドビュッフェ
他の皿が小さいんじゃなくて、魚がばかみたいに大きいのです。

すいか
随分甘やかしてもらいました。

↓続きを読む
【引きこもりの北欧紀行】第三章その9 愛について語ることと生のグリーンピース

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。