【引きこもりの北欧紀行】第四章その1 リトアニア 学生時代への回帰とそれぞれの成長

あらすじを読む 【引きこもりの北欧紀行】 〜あらすじ〜
はじめから読む 【引きこもりの北欧紀行】第一章 ストックホルムとヨーテボリ 静かな再獲得の旅 その1
旅のしおりを見る
【引きこもりの北欧紀行】第二章その1 ゴットランド島 憧れの魔女の島へ
【引きこもりの北欧紀行】第三章その1 フィンランド 第二の故郷

Finland to Lithuania
 眠っても眠っても、疲れが取れない日が何日か続いている。それが肉体的なものに起因しているのか、それとも頭の方から来ているのかは判断がつかない。
ここに来てからというもの、見事なまでにその怠惰性を獲得していた僕は、この期に及んでまだ明日の旅立ちへ向けた準備を済ませていなかった。
眠ったままの胃にコーヒーを流し込み、黙々と荷物を詰め始める。

リトアニアではあらゆるお土産を買うつもりでいた。そうして完成した僕の最小限の荷物は、なんとかキャリーに半分の空白を作ることに成功した。
彼女とその夫が僕を空港に送ってくれる前に僕が彼らの仕事に付いて行き、そのまま送ってもらうのが、一番効率がいいだろうということになった。午前11時に家を出て、僕らは走った。
街中で車線の右側を走っているというのは、どうも奇妙な気分だ。今にも対向車と正面衝突しそうな幻覚に何度も襲われた。

 「ちょっと長いドライブになる」と彼は言った。職場までそんなにも遠いのか。それに彼女が付いて行ってなにかしら助けになるというのは、一体どんな類の仕事なのだろう。車は高速道路のような、周りに何もない道路をひた走っていた。
 「これがよくあるフィンランドの田舎風景ってやつだ」と彼は言った。
 「森と小麦畑。それだけだ」

 車はそれから二時間走り続けた。いくらなんでもおかしい。時速140kmでこんなに走っても辿り着かない職場なんて、砂漠の蜃気楼で見るオアシスの幻みたいなものだ。それに彼女が何か熱心にメモを取っている。僕はどう訊いたものか少々逡巡した。
人の仕事のことを聞くのは、何かしらプライベートに関わることのようで、気が引ける。しかし好奇心に勝てなかった僕は、ついに意を決して後部座席から話しかけた。
 「ねぇ、何かメモを取ってるの?」
 「あら」と彼女はメモを見せてくれながら言った。
 「実は今仕事中なのよ」と。
 どうやら彼らの言う仕事とは、何かしらの調査に関することのようだった。
なるほど。僕は合点がいった。それで、こんなにもフレキシブルなのだ。
胸の奥につっかえのように横たわっていた疑問が、すっかり解消したおかげで、僕は幾分ほっとした。訊けばなんとかなる疑問なんてものは、さっさと訊いてしまったほうが精神衛生上よろしいのだ。

 それから僕たちは、小説の話をした。僕は小説の話をしている時が一番いきいきと話すような気がする。あまりにも夢中なものだから、自分を客観的に見れないものだから、本当に数値的な意味で一番かどうかは確かではないが。
海外で有名な日本の小説家といえば、ほとんど一人に限られる。ハルキムラカミだ。
彼は僕の最も敬愛する小説家の一人であるし、僕の文体が彼に多分な影響を受けていることも確かである。彼の話をすれば本が一冊書けてしまうほどだが、それは世界中にいるムラカミファンにお任せしたほうがよいだろう。
とにかく僕はその数分間の間、後部座席から身を乗り出して一人で喋り続けていた。いや、僕は本質的には、本当に物静かな人間なのだ。

 午後一時半。僕たちは見るからにメルヘンで花に囲まれた洒落た一軒のカフェに車を停めた。

 「ここ、私のお気に入りなの」と彼女は嬉しそうに言った。
 「サイコーだね。ところで、ちょっと車酔いをしたみたいなんだ。なにしろ、時速140kmのドライブなんてのは、僕の人生でも最速だったから」

 実を言うと、僕は後部座席でシェイクされることでかなり危ないレベルで酔いを感じていた。彼女に打ち明けると、彼女は僕にオレンジジュースを買ってきてくれた。
 「悪い、気が付かなかった。スピードを落とすよ」と親切な彼は言った。
 それから彼女は僕に前方座席を譲ってくれ、空港までのドライブは随分と楽に過ごせた。僕はすぐに乗り物酔いしてしまう自分の性向を悲しんだ。
 「寂しいわ。リトアニア楽しんでね。何かあったらすぐに連絡して」空港での別れ際、彼女は僕に優しくハグをしてくれた。

カフェ中
カフェの中

アップルパイ
典型的な北欧的アップルパイです(彼女たちが食べた)

カフェ庭
こんな感じのメルヘンチックなカフェが、だだっ広く何もない平原を走る道路にぽつんと置かれていた。

↓続きを読む
【引きこもりの北欧紀行】第四章その2 標語的人生の必要性

The following two tabs change content below.
ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。