【引きこもりの北欧紀行】第四章その2 標語的人生の必要性

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 空港での待ち時間というものは、人によって実に様々な過ごし方がある。ぐっすりと眠り込むバックパッカー、パソコンで仕事をするビジネスマン、スマートフォンで時間を潰す若者、抱えられるだけの限界まで買い物をこなすマダム、カフェでお喋りを続ける女の子のグループ。
ここには誰も彼もがいるのだ。僕はたいがい、パソコンで仕事をするか本を読むかして過ごす。
そうすると時間というものはすぐに過ぎてしまう。できることならコーヒーでも飲んで過ごしたかったが、フィンランドは物価が本当に高い。
それに、僕が留学していた頃よりも円が随分弱くなってしまい、コーヒー一杯でもいちいち財布が痛む。その上、ここは空港ときている。しかたがないので、クリームチーズの挟まったクラッカーを売店で買って齧った。

旅でのお金の使い方は、メリハリが重要なのだ。特に僕は、日常生活をわりとケチケチと過ごす。
そうして、こんなふうにたまにぱーっと海外に出奔するのだ。こういうライフスタイルを、僕はそれなりに気に入っている。もう少しだけ、切り詰め方をゆるめてもいいのではないかと思う面もあるけれど。
それまぁ、もう少し収入が安定したら自然とできるようになるだろう。

 リトアニアまでの道のりは、ヘルシンキからまずラトビア(エストニアだったかもしれない)のRigaという空港に一時間のフライトをする。その後、同じ路線でリトアニアのVilniusまで50分のフライトだ。
あっという間だ。
離着陸が苦手な僕としては、できることなら一つにまとめてもらいたかったが、格安航空にこの際そんな贅沢は言っていられない。飛行が安定するまでは何かをするわけにもいかないから、頭のなかで時間をつぶす。こういう何気ない移動日なんかが、一番深くものを考えられるかもしれない。飛行機の中で、パソコンにではなく紙に自分の手で書いた言葉がある。

「平日働く。肉体が生きるために。休日読む。書く。魂が生きるために。家族を大切にする。心が生きるために。This is my life.」

 解説はない。僕の24年間で、今これが一番しっくりきているというだけの話だ。
 僕は、人生の節目でいちいち標語を決める必要のある人間なのだ。
例えそれがなにかの拍子で変更する必要が出てくることがあろうと、少なくともしばらくはこの態度で人生に臨もうという指標のようなものの存在は、僕をいくらか安定した気持ちに導いてくれる。
それは言うなれば、マラソンのコースで示される◯km地点といった表示のようでもあるし、毎年元旦に引いて一年間財布に収めておくお守りのようでもある。

 リトアニアでは、実にあっさりとゲートまで出られた。シェンゲン協定というもののおかげで、ヨーロッパ内の協定国の間は入国審査なしで行き来できる。格安航空で荷物を預ける人の数も少なく、僕の半分空の黒いキャリーもすぐに出てきた。

 ついにこの瞬間が来た。ゲートで待っていてくれた彼女は随分と大人びて見えた。
今日は仕事の帰りに僕を迎えに来てくれたのだ。
 「久しぶり!本当に久しぶり!二年半ぶり!この瞬間を待ってた!」彼女は前と変わらない、美しく流暢な英語ととびきりの笑顔で僕を迎えてくれた。
離れていた恋人と再会した時みたいに二人できつくハグをして、この空白の数年を埋めていった。

 車の中では彼女が主に話をした。ここはリトアニアで、彼女は英語が流暢で、そしてお喋り好きだ。僕が口を挟む理由がどこにあろうというのか?
僕たちはこれからやってくる夢の様な十日間に胸を高ぶらせ、讃え合った。
前に会った時はお互いが学生で、まだまだ自分の中に迷いや混乱を抱え込んでいて、もちろんそれが何処かへ行ってしまったわけではないけれど、けれど彼女を見るとお互いの変化を直(じか)に感じられた。

 「いいこと、家にいたい時はそうすればいいし、どこかへドライブしたいなら私が運転するし、何でも食べたいものを食べればいいし、買い物だって行ける。なんでも、あなたの気の向くままに過ごそう、OK?」
 「もちろん。最高だ」

 彼女の安全な運転のおかげで僕たちは無事に彼女の家に辿り着いた。家では見るからに優しく親切そうな彼女のお父さんが出迎えてくれ、僕たちは挨拶を交わした。この父にしてこの娘あり、だ。彼らはあまりにも親切だ。母親は小柄な人で、二人ともあまり英語を話さなかったが、彼女を通じて僕と話をしてくれた。
 彼女の家は、大きすぎず小さすぎず、そして綺麗に片付けられた素敵な家だった。ひと通りの家の説明をしてくれた後、彼女は温かいハーブティーとビスケットのようなものとりんごを出してくれた。
ここのところ考えすぎで頭がおかしくなりそうだった僕は、このもてなしのおかげで一旦なにもかもを忘れて眠り込むことができた。疲れていたのだと思う。バイオリニストを目指しているという彼女の妹の部屋は、この家で一番大きいらしかった。
末っ子はどこの国でも最恵国待遇なのだ。ありがたいことに、僕はその部屋を使わせてもらえるらしかった。
 僕のここでの新たな旅が始まろうとしていた。

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【引きこもりの北欧紀行】第四章その3 日本語で話すリトアニア人

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